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青年の希望 6

 あの『文鮮明(ムン・ソンミョン)師御夫妻メッセージ集 青年の希望』が、30年の時を超えてBlessed Lifeに掲載されることになりました。
 「膨大な文師の講話集の中から、特に日本の青年に対して希望を与えようと、日本語で語られたもの」が選ばれ、まとめられたみ言集です。
 若い世代はもちろん、全世代にお読みいただきたい、読めば読むほど、元気が出てくるメッセージ集です。(一部、編集部が加筆・修正)


(光言社・刊『文鮮明師御夫妻メッセージ集 青年の希望』〈1995年11月10日初版発行〉より)

天国とは統一された世界

 皆さんが一人ぼっちの時、「これは素晴らしい」と言うことはできません。
 例えば、「善」とは皆さんの好むもののことです。その漢字は簡単に言えば、男と女を意味しています。男と女が完全に一つとなる時のように、主体と対象が完全に一つとなる時、それが善となるのです。
 これは東洋の理想というだけでなく、西洋の世界にも示されている理想なのです。

 聖書に、「神は男を造り給うたけれど、どうも十分ではない、そこで神は女を造ったところ、はなはだ善かった」と書かれています。
 理想となり、善となることは、相対的位置を取ることであるということを否定することはできません。いわば、真の男と真の女が一体となる時にのみ理想が成立するのです。それが理想です。
 善となる以前に、個人においては心と体の完全な調和がなければなりません。それらが真に一つとなった時、未来における幸福の要素となるのです。
 これは論理的にも十分納得のいくことです。

 それでは、天国とはどのようなものでしょうか。
 天国とは、二つの分裂したものを一つのものにしたにすぎないのです。それが天国なのです。
 漢字で「天」は「二人の人」と書きます。それがなくて天国の文字はありません。それはまさしく啓示ですね。
 なぜ人間は昔、そのような文字を使い始めたのでしょうか。なぜなら、もともと人間の理想は、「理想」そのものに直結しているからです。
 理想とは、二つのものが一つとなって、初めて成し遂げられるのです。それで、この過程は、既に一つの文字で表現されているのです。
 私たちはどんな文化圏においても、二つのものが理想を成し遂げるということを否定できません。

 私たちは、生まれつき貴重な存在であると思います。どうして人間がそれほど貴重な存在なのでしょうか。
 理想のために、備えられた欲望を成し遂げていく長い道のりがあるので、そのように感じるのです。
 私たちの理想達成への目標は、「私たちの心、あるいは良心と体の一体化を成し遂げることである」と言うことができます。
 理想的人間とは、心が一つの方向に進み、体は別の方向へ進むような人ではなく、心と体が一つの方向に向かって、永遠に進んでいく人です。それこそ理想像なのです。

 例えば、私たちの体はいつも自分自身のことを中心に考えています。そして心はいつも全体的な視野の中で考えています。
 これらが一つになる時、完全な理想的人間となり、その人は心と体の両方を主管することでしょう。

 私たち自身を見てみましょう。
 私たちの体と心は完全に一つとなっていますか。もし私たちの体を平面だとするならば、私たちの精神はより高い次元にあると考えられます。それらの確かな交差点は、どこにあるのでしょうか。
 そこが、私たちの理想を見いだすことのできる点なのです。その一点にすべてが一つとなった人は、すべての方面に通じることができるのです。それが神です。そこで私たちは神の似姿となるのです。
 また、肉体には時間的制約がありますが、私たちの精神には時間的制約はありません。限りある部分と限りなき部分が一つになる時、そこに理想が存在するのです。

 人類がまだそのようになっていないので、「神はいない」と簡単に言う人もいます。
 しかし、もし神がいるならば、私たちの心と体は、神のように作用しなければなりません。そうでなければ、神は二つの相反した方向性をもたなければなりません。
 私が言おうとしていることは、私たちには、神は二つの方向性をもつようなお方であると思われるけれども、神はそうではないということです。

 そこにおいて、私たちは人間の堕落を認めなければならないのです。私たち自身の、そして人類の、教育の必要性がそこにあるのです。
 私たちは「神は間違っている」と言うことはできません。神は正しい方に違いありません。すると私たちが間違っているということになります。
 人類歴史においてこの偉大な改革をなし、人類歴史を完成することは、宗教の仕事です。

(続く)

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 次回は、「心が先にあったをお届けします。