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共産主義の新しいカタチ 8

 現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
 国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)

「良心の呵責」棄てる「獣性」
マルキ・ド・サド①

 政治体制の転覆を目指すマルクス=レーニン主義に対し、「文化」など「上部構造」と呼ばれる精神的営為を破壊することでより簡単に「革命」が可能となるとするのが、「文化マルクス(共産)主義」「ユーロコミュニズム」です。
 その中核を担ったのが、フランクフルト学派です。その中心人物こそ、ホルクハイマーとアドルノという二人のユダヤ人哲学者でした。

 ルカーチの『歴史と階級意識』を範とし、ホルクハイマーとアドルノが構築した「批判理論」を二人の主著として展開したのが『啓蒙の弁証法』です。

▲ホルクハイマー(左)とアドルノ(ウィキペディアより)

情を排した道徳法則を説いたカント
 ホルクハイマーとアドルノが同書で問題提起するのは、19世紀から20世紀にかけ、西欧の哲学界ではヘーゲルと共に絶大な影響力を与えたドイツの哲学者イマヌエル・カントの提起した「啓蒙」という概念と定義を批判し、そこから倫理道徳観を生み出す文化そのものを否定することを企てるのです。

▲イマヌエル・カント(ウィキペディアより)

 カントは『啓蒙とは何か』で「啓蒙」の本質を「他人の指導を必要としない悟性」と定義しますが、これはいわば「自己決定」できる能力、「自律性」です。

 ところがこのカントを批判するために、ホルクハイマー=アドルノは同時代人のサド侯爵(マルキ・ド・サド)を「ポスト近代西欧合理主義」の「先駆者」にまつりあげます。カントの批判哲学は「理性の限界を示し、信仰に場所を空ける」というキリスト教道徳と親和性のある哲学でした。

マルキ・ド・サド(ウィキペディアより)

 ホルクハイマー=アドルノは『啓蒙の弁証法』で、サドの小説『ジュリエットの物語、あるいは悪徳の栄え』を援用し、その宗教擁護的な倫理道徳観を徹底批判するのです。

 サドはサディズム(加虐性愛)の語源として知られますが、貴族でありながら不品行の罪でバスティーユ牢獄など長らく獄中生活を送りました。その獄中で書かれた作品は、当時、カトリックによる宗教的支配体制下にあった大革命前のフランスで唯物無神論を唱え、あらゆる性道徳・倫理観を踏み超えるものです。「性愛の機械的快楽」を追求しあらゆるタブーが無効にされる「放蕩(ほうとう)の規則」が示されます。

 ルカーチの『歴史と階級意識』の影響下から「フランクフルト学派」として独自の路線に踏み込んだのが、ホルクハイマーとアドルノの共著『啓蒙の弁証法』です。これはカントの啓蒙概念・倫理思想と対比する形でサドの「悪徳の哲学」の「意義」をよみがえらせ、フロイト精神分析学をも援用し学術横断的に体系化に向かおうとするものでした。

 カントは「ここに二つのものがある。それは-我々がそのものを思念すること長くかつしばしばになるにつれて、常にいや増す新たな感嘆と畏敬の念とをもって我々の心を余すところなく充足する、すなわち私の上なる星をちりばめた空と私の内なる道徳法則である」と『実践理性批判』で述べるように、「内なる道徳法則」こそがカント倫理学の中心概念でした。

 ところがその「内なる道徳法則」には、実は重大な「弱点」とでもいうべきものがありました。それは、内なる道徳法則により行われるべき「実践行為」というものは、感情・愛情などの情念で左右されてはならない、と厳密に規定したことです。このことは何を意味するのでしょうか。

 カント倫理学の問題は、端的に言うと、東洋の儒教で性善説を説いた『孟子』の「惻隠(そくいん)の情」を否認していることにあります。この惻隠の情とは、ズバリ「同情」と言えますが、「人間は誰でも、他人の悲しむ姿を見すごすことのできない同情心がある」ということで、「思い遣りの心」とも言い換えられます。『孟子』にも出てくる喩(たと)えですが、子供が井戸に落ちた、といって人間は誰でも救おうとする、無意識の「善なる心」があるというわけです。

 ところが、カントの説く倫理学ではこうした「情にほだされた行為」は、結果として良かろうと悪かろうと、認めません。確かに、子供を助けようとすることによって、自分の名誉を得たいという動機があった場合、カントにとっては極めて不純な動機による行為でしかありません。

 このように、自己の意思決定において「感情」「情念」を持ち込むことを徹底的に排除したのがカントの「道徳法則」でした。

 さて逆に、このカントの「非情さ」を逆手に取ったのが、実はサドにほかなりませんでした。恐らくサドこそ、フロイトの精神分析で正面から取り組むようになった「快楽犯罪」について、動機や心理的メカニズムから初めて記述した人物なのではないでしょうか。(続く)

「思想新聞」202431日号より

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