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文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写 16

家庭は幸福の根です

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第3弾、『文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『心の書写~文鮮明師自叙伝に学ぶ~』より)

【第五章】家庭は天国の出発点

家庭は幸福の根です

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 家庭は、神が創造した最高の組織です。また、人類が互いに愛し、平和に暮らすことを学ぶ愛の学校であり、世の中に平和の王宮を建てるための訓練道場です。為(ため)に生きる夫と為に生きる妻として、そして永遠の愛の道を行くための夫婦として、その責任を学ぶところです。家庭は世界平和のためのベースキャンプなので、息子・娘が「お父さんとお母さんが喧嘩(けんか)する姿を、生涯一度も見たことがない」と言うようにならなければなりません。(自叙伝、217~218ページ)

 父母は、子供たちにとって第二の神様です。「神様が好きか? お父さんとお母さんが好きか?」と尋ねて、「お父さんとお母さんが好きです」と答えたら、それはすなわち「神様も好きだ」という意味です。教育の最も大事な部分を担っているのが家庭です。幸福も平和も、家庭の外にはありません。家庭こそが天国です。いくら莫大(ばくだい)なお金と名誉を持ち、世界をすべて手に入れたとしても、健全な家庭を築くことができなければ、その人は不幸です。家庭は天国の出発点だからです。夫婦が真実の愛で結ばれ、理想的な家庭が築かれたら、宇宙と直接連結されます。(218ページ)

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家庭は幸福の根です
 人間は誰しも幸福を求めています。幸福になるためには、健康やお金や地位、名誉、社会的成功など、人によってさまざまな要件を必要とします。文鮮明(ムンソンミョン)先生は、幸福は家庭以外には見いだせないと断言されています。

 「幸福も平和も、家庭の外にはありません。家庭こそが天国です。いくら莫大なお金と名誉を持ち、世界をすべて手に入れたとしても、健全な家庭を築くことができなければ、その人は不幸です」(自叙伝、218ページ)と、はっきりと語られています。

 文鮮明先生の教えによれば、神様は人間を家庭で幸福になるようにお造りになったというのです。魚が川や海で安楽に生きられるように、人間は愛のあふれた真(まこと)の家庭で喜びを得られるように創造したというのです。だから、家族愛以外では本当の幸福と喜びは享受できないというのです。

 現実には、人によって、家庭以外に幸福を求める人もたくさんいます。研究に没頭して、発明発見に生涯を捧げる学者もいれば、世界一を目指して鍛錬をするスポーツ選手もいます。会社や団体の発展のために努力をするビジネスマンもいます。サークル活動や観光旅行に喜びを求める主婦もいます。

 確かにそれらが充足感をもたらすことは事実ですが、心の底から末永く喜びをもたらすことは可能でしょうか? 大成功した実業家がいても、夫婦の亀裂があれば、心の葛藤はぬぐいきれないでしょう。容姿端麗な人気女優でも、夫婦の絆(きずな)が弱ければ、人生劇場で幸福な演技はできないでしょう。大きな実績を上げて会社で称賛された営業マンでも、妻が怖くて家に帰るのが怖ければ、やはり不幸なセールスマンです。最高の顧客は奥さんではないでしょうか。その奥さんの心がつかめないからです。

 喜んで帰る家があり、帰りを待ちわびる人がいてこそ幸福な人なのです。家庭は愛の巣なのです。もし家庭が単なる生活を営む場所だけならば、真の家庭とはいえないのです。家庭は愛の貯水池であり、愛の発電所であり、愛の健康ランドでもあるのです。

 仕事に生きたある実業家の悲しいながらも感動的な出来事をテレビで見たことがあります。それは実話でした。

 貧しい家で育った男がいました。あまりにも貧乏で学校にも行けなかったそうです。多くの人からばかにされ、卑下されたそうです。そういう屈辱を耐えながら、いつか事業を成功させて見返してやると、一生懸命働いたそうです。そして結婚しました。しかし、男にとって結婚は儀礼であって、奥さんには愛情を全く注がず、ひたすら仕事に専念したそうです。奥さんはずっと無視され続けたのです。とても寂しかったに違いありません。事業は苦労のかいあって発展し、ついに念願の工場の開所式を迎えました。

 その時、奥さんの体に異変が起きました。すべてを忘れるという病気にかかってしまったのです。一つ一つ忘れていって、ついに夫の名前も、自分の名前も忘れてしまいました。生活そのものができなくなったのです。そして、奇妙な行動をするようになりました。夕方になると、決まって自分で玄関の戸を開けて外に出て、どこまでも歩いて行くのです。医者は、せめて一度でも夫に手を引いて散歩に連れて行ってもらいたいという切ない願望の現れではないか、と診断しました。

 やがて念願の工場の開所式が行われました。社員は誰もが社長が元気な挨拶をすると思っていましたが、口から出たのは思いもかけない言葉でした。

 「俺は、きょうをもって、会社を辞める。これからのことは君たちに任せる」と言ったのです。社員はびっくりして社長に尋ねました。「なぜ、これからという時に辞めるのですか。これからどうするのですか?」。

 社長はこう答えました。「なぜって? 考えてもみてくれ、俺は妻から忘れられたのだぞ。こんな悲しいことあるか。これからどうするのかって? 決まっているじゃないか。妻から俺の名前をもう一度呼んでもらうために生きるのだよ……」。

 そして、彼は何もできなくなった奥さんのそばに寄り添い、失われた時間を取り戻すように、箸で食事を口に入れてやります。お風呂も一緒に入って体を洗ってあげます。そのたびに「俺の名前は○○だ」と言い聞かせます。そして、夕方になると、奥さんの手を引いて、奥さんの気が済むまでどこまでも散歩をするのです。

 夫婦とは何かを考えさせられる実話でした。その後この夫婦がどうなったかは知りません。確かなことは、ご主人は危うく最も大切なものを失いかけたことです。それは、夫婦愛でした。夫婦愛こそ永遠の幸福の根なのです。根がなければ芽は出ず、花は咲かず、実は実りません。夫婦愛がなければ、絶対に家庭に幸福の花は咲かないのです。ですから、夫婦は互いに、相手の喜びと幸せのために生きなければなりません。

 文鮮明先生はこう語られています。

 「結婚は、私のためではなく相手のためにするものです。……人間は、人のために生きなければなりません。結婚するときも、その原則を忘れてはいけません」(自叙伝、228ページ)(続く)

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 次回は、第五章の「家庭は愛の学校です」をお届けします。


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