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心情開拓
心霊を育てる生活原則(149)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

12 第37年路程を走り抜くに当たって
(1976年1012日 東京教会)

▲李耀翰先生

大転換の時

 第37年路程に入ってきて、あらゆる兄弟たちの悩みを見たり、霊が現れて証(あか)しするのを見ると、主体者の立場へ自分が否定されなければいけない時だということが、先生に会ってみて分かったのです。いろいろな信仰復活路程において、第3次路程の復活期間に来ているのですが、それは大転換の時です。

 今まで、蕩減生活してきた私たちとして、第3次路程には大転換する時と、私は思っていたのですが、今度先生が一番強調し主張されたのは、カインとアベルの関係でした。アベルはカインを通じなければならない、カインはアベルを通じなければいけないとの話は、自分を否定して、主体者の立場に立つという意味と同じです。

 それで、「原理」が明らかになってきたのです。「原理」を学んで生活にどう応用すべきか、自分をどう取り扱うべきかということについて、相当あいまいだった面が明らかになってきているのです。

 祝福がなされる以前、家庭が現れる前には、相当複雑な霊界関係、背後関係があり、私たちの行く路程があまり暗くて、よく分からなかったのですが、今は明るくなって、信仰路程において12時になったような気がします。善悪分別もしやすいし、本性による自分なのか、堕落性による自分なのかはっきりと分かる、とても明るい時が来ました。それから霊界も総動員して、邪魔しないのです。邪魔しないからまた明るくなったのです。今は、知的にも、霊的にも、明るくなった時だということを実感します。

 だから、本当に「原理」は簡単であり、私たちの生活は、原理的に、明らかに分別できる時が来たということを実感しました。祝福で明らかになったのは、アベルが明らかになったのです。

 祝福家庭は、自分の相対者がアベルだと、相対者のアベルはアベルだと。アダムは天使長だけれども先生のごとく侍って、その位置を立てるのがエバであり、夫婦なのです。アダムは自分の妻を、神様のお母さんのごとく侍って、母の立場に立てなければなりません。お互いに自分の位置を定めなければなりません。

 この夫婦の位置は、お互いに父母の立場に育て上げ、お互いがお互いを復活してあげるのです。家庭に至ってみると、もっと信仰生活が明らかになってくるのです。

 その家庭関係があいまいになると、「原理」はめちゃめちゃになってきます。今まで一人で信仰してきた時は信仰路程が晴れたような気がしても、家庭関係が複雑になって夫婦関係がまずくなると、みな崩れてしまうのです。カイン・アベルが崩れてくると、自分は混沌としてきます。自分の心が一番安定してくる時は、恋しい人をもった時でしょう。

 教会に来たがる時はだれだれに会って、何か相談をしたい時、自分の心を全部告白したい人をもった時が、一番心が安定して、成長する時なのです。しかし、そのアベルを失うと、混沌となってしまいます。アベルをもった時、アベルが自分を貴重にしてくれるから、私もアベルを貴重に思うようになるのです。自分の価値もアベルによって定められるからです。自分を愛してくれる、恋しく思ってくれる人をもたないと、自分の価値を決めにくいのです。自分を無視しやすいのです。

 アベルをもたない人、侍る人をもたない人は、ほとんど自分で自分をでたらめに扱うでしょう。親を貴重に思わない子、先生を尊敬しない学生は、みなふらふらするでしょう。それと同じく信仰路程も、アベルをもたない人がふらふらし、混沌となるのです。だから目的地が夫婦ですから、祝福家庭が信仰目的地だから、そこへ行って誤った場合とか、関係がまずくなると、もう信仰路程はふさがってしまいます。そうすると、危ないのです。

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 次回は、「基台の上に現れる」をお届けします。


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