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真の父母様の孝情を学ぶ 27
小さな帆船、荒波に立ち向かう①

 『ムーンワールド』で連載中のコーナー、「真の父母様の孝情を学ぶ」を隔週日曜日(予定)でお届けします。
 韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁(真のお母様)の自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』からの抜粋をイラストとともにつづるコーナーです。

 今回は、「小さな帆船、荒波に立ち向かう」(121122ページ)からの抜粋です。

 聖婚式を挙げて3日後、私たち夫婦は信徒と一緒に仁川(インチョン)の朱安(チュアン)農場に行き、その一角にブドウやイチョウ、ケヤキの木を植えました。

 私はひょろっとした苗木を植えながら、祈りました。

 「すくすく育って、いつか世の人々に希望の実を分け与える大木になりますように」

 それは、単にその木のためだけに捧げた祈りではありませんでした。木は、人々に実を与え、休むことのできる安息の場を提供します。それは私たち夫婦の使命であるとともに、天に仕える信仰者が担うべき役割でもありました。

 覚悟してはいましたが、新婚当初から、荒々しい波が容赦なく私に襲いかかってきました。夫婦の安らかな生活など、最初から期待することもできず、「平穏」という言葉を口にすることもできない状況でした。

 結婚してから住んだのは、青坡洞(チョンパドン)教会の奥にある、古びた小さな部屋でした。そこから、一方は教会の礼拝堂に、もう一方はとても小さな裏庭に続く通路がありました。

 私はエプロンをかけ、練炭のにおいが漂う狭い台所で、夫のために食事を作りました。初めてそこで食事を準備した日は気温が低く、手がかじかみましたが、毎日使っている台所のように立ち働き、慣れた手つきで包丁を持ちました。料理をいくつも手際良く作る姿を見て、少し前まで私をただの学生だとばかり思っていた人たちは、ずいぶん驚いた様子でした。

 教会はいつも信徒で賑(にぎ)わい、夫婦水入らずで過ごせるような日は滅多にありませんでした。そのような中でも、私は夫と向かい合って座り、世界のために何をどのようにすべきか、たくさん話し合いました。

 「そろそろ、食事になさいませんか」

 信徒の声にふと時計を見ると、午後の23時になっていることがよくありました。昼時をとっくに過ぎていても、二人とも、食事をする考えすら浮かばなかったのです。将来、私が担うべきことが多くあり、韓国はもちろん、全世界が私の差し伸べる温かい手を必要としていることを感じていました。

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 次回は、「小さな帆船、荒波に立ち向かう➁」をお届けします。


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