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ダーウィニズムを超えて 47

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

五章 心と脳に関する新しい見解

(一)心と脳の関係

5)スペリーの一元論
 ロジャー・スペリー(Roger Sperry, 191394)は唯物主義と還元主義に反対する立場にある。スペリーによれば、意識とは脳の物理的現象の総和を超える何者かであり、脳の働きに影響を与えているものである。しかしながら彼は、意識が脳の過程から切り離されて存在することを否定した。すなわち、霊魂のような存在は認めなかった。彼は次のように言っている。

 主観的な心的現象は、主観的に経験されるものであって、その物理化学的構成要素とは異なり、それ以上のもので、これらの要素には還元できないがゆえに、これを最も基本的で因果的な大きな力をもった実在と考える。同時に私は、この立場およびそれが基礎を置いている脳と心の学説を一元論的と定義し、この立場を二元論に対する主要な抑止力と見なす(*5)。

 スペリーの立場は、あいまいな中間的な主張であって、一方では二元論の論議を支持するために使われ、他方では唯物論者の心と脳は同一だという哲学を支持するのに使われてきた。スペリーの主張は「メンタリストの一元論」と呼ばれている。

6)ペンフィールド
 脳外科の世界的権威であったワイルダー・ペンフィールド(Wilder Penfield, 18911976)は、若い頃、脳の研究が人間の精神世界の神秘をすべて解き明かすだろうという一元論的信念に燃えていた。そして自分の家の庭石に、ペンキで「ヌース=脳」という図式を脳のイラスト入りで書いた。ヌース(noūs)は心または精神という意味である。

 ところがいくら研究を重ねても、脳の内部には、自己意識の中枢は見えてこなかった。そこで晩年になると、彼は一元論を捨てて二元論の立場に立ち、脳は意識の中枢でないと考えるに至った。そして庭石に描いた図式のヌースと脳を結ぶ等号の上に大きく「?」という疑問符を書き入れたという。

 ペンフィールドは『脳と心の正体』の中で、「脳はコンピューター、心はプログラマー」と述べた。そしてコンピューターが外部の何者かによってプログラムを与えられ、操作されて、初めて役立つように、「脳にあるすべての仕組みのプログラムを指示する存在が心だ」というのである。ペンフィールドによれば、心は脳と結びついてはいるが別個の存在である。そして「心の本体は何か」という問題を追究するとき、心的エネルギーの存在と、霊魂の存在を受け入れざるをえないと考えた。

7)エックルス
 心と脳はそれぞれ別個の存在であるとして、ペンフィールドと同じく二元論の立場を主張したのが大脳生理学者のジョン・エックルス(John C. Eccles, 190397)であった。彼は次のように語っている。

 私たちの心と脳は密接に結びついてはいるが別ものであり、心は脳を介して外界と連絡しながら、個々の人間の意識の世界を形作る。そして自我はあるいは魂は、……意識の根源的な主体として個々の人格を現していくのである(*6)。

 エックルスは彼の最後の著書である『自己はどのように脳をコントロールするか』の中で、「本書で計画している最も重要なことは、唯物論に挑戦し、これを否定し、精神的自己を脳の支配者として復権させることである(*7)」と述べて、その生涯をかけた唯物論との闘いの最後に、唯物論に対する挑戦状を突きつけたのであった。

 その中でエックルスは、心と脳の相互作用がいかにしてなされるかについて、研究を進めた。そして「心的事象は量子的確率場によって、シナプス前小胞(しょうほう)格子からの小胞の放出確率を変えるように作用する(*8)」と主張している。シスプス前とは、シナプス(ニューロンとニューロンの継ぎ目)を構成する神経織維の末端部のことをいう。シナプス前小胞からの小胞の放出の様子を図51に示す。

8)ペンローズ
 数理物理学者のロジャー・ペンローズ(Roger Penrose)は量子論や宇宙論の知識を駆使しながら、人間の心を解明しようと試みている。彼は「脳全体の広範な領域に広がる何らかの量子的干渉の形態が存在するときにのみ、単独の精神というまとまりが生じうる(*9)」と考えている。物質から精神が生じる様を量子論で説明しようというのである。そして彼は「微小管は、その内部で大規模な量子的干渉が生じている構造と考えて差し支えないと思われる(*10)」と言い、ニューロンの中にある微小管(マイクロチューブル)が意識の生じる場所であるとしている。微小管はタンパク質でできた小さな管であるが、その内部を電子や光子が流れることがあるという。この微小管の内部に光子場があるとすれば、量子力学の非局在効果が現れる可能性があり、その量子効果が人間の意識を生むというのである。ペンローズは、人間の心は量子力学と相対性理論の両方を統合する、いまだに発見されていない物理法則によってのみ説明できるであろうと考えている。ペンローズのいう微小管も図51に示す。

9)統一思想から見た心と脳の関係
 デカルトの主張は心と脳を完全に分離した二元論の立場であった。フロイトやユングは脳とは無関係に心を分析した。パブロフは心を脳の条件反射としてとらえた。行動主義者も、同様に、現象的な行動だけを見て心の存在を無視した。

 現代の脳生理学者において、心は脳のニューロンの相互作用から生まれるという考えが大勢を占めているが、その代表がエーデルマンとクリックであろう。ペンローズも脳から心が生まれるという立場であるが、エーデルマンが心を生物学的に説明しようとするのに対して、ペンローズは量子論で物理学的に説明しようとしている。

 スペリーは脳の物理現象を超える何ものかとして心の存在を認めているが、脳と分離しうる精神的存在については否定した。それに対してペンフィールドやエックルスは、物質とは異なる心の実在を認め、さらに心の背後にある魂の存在と神の存在を認める立場である。

 統一思想においては、心と脳の授受作用によって、認識、思考、感情、意志などの精神作用が生じると見る。心は生心と肉心の合性体である。そのうち、肉心は性や衣食住を追求する本能的な心であって、直接、肉身に関係している。他方、生心は愛に感応し、真善美の価値を追求するものであって、霊人体に属する心である。そして生心は霊界と神に通じているのである。

 ここに紹介した心と脳の関係に対する哲学者、心理学者、科学者たちの見解をまとめると図5-2のようになる。ペンフィールドおよびエックルスの立場は統一思想の見解に近いが、統一思想は彼らのような二元論ではなく、唯一論である。それについては後に考察する。次に、意識はいかに生じるかという問題を論じながら、統一思想の見解を明らかにする。


*5 ジョン・エックルス、大野忠雄・斎藤基一郎訳『自己はどのように脳をコントロールするか』(シュプリンガー・フェアラーク東京、1998年)56頁より引用。
*6 ジョン・エックルス、ダニエル・ロビンソン、大村裕・山河宏・雨宮一郎訳『心は脳を超える』紀伊国屋書店、1989年、64頁。
*7 ジョン・エックルス『自己はどのように脳をコントロールするか』序文。
*8 同上、79頁。
*9 ロジャー・ペンローズ、中村和幸訳『心は量子で語れるか』講談社、1998年、212頁。
*10 同上、188頁。

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 次回は、「意識はいかにして生じるか」をお届けします。


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