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ダーウィニズムを超えて 48

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

五章 心と脳に関する新しい見解

二)意識はいかにして生じるか

 意識とはいったい何であり、意識はいかに生じたかということに関しては、全く謎であるというのが現代の脳科学の立場である。そして「意識は21世紀最大の難問」であると言われている。フランシス・クリックも、「意識とは何かを説明することは、現代科学がいまだ解決していない課題のひとつである。精神と脳の関係は、途方もない難題として神経学の分野にのしかかっている(*11)」と言う。しかるに、意識は「相互に作用し合う大規模なニューロン集団のしわざ」であると主張する。そして、そのような主張が、今日の神経科学の大勢を占める見解となっているのである。

 この問題に関して統一思想の立場から考察してみよう。統一思想から見て、ニューロンの相互作用によって意識が生じるということに異論はない。統一思想は、すべての力は授受作用によって生じると見るからである。ところで授受作用には目的があり、またその授受作用の背後には必ず根源的、原因的な力が作用しているのである。そして授受作用を通じて、その根源的、原因的な力が多様な現実的な力として分化して現れてくるのである。授受作用の背後に作用している根源的な力は、宇宙にあまねく作用しているのであり、場(フィールド)と表現することもできよう。

 例えば神の愛があまねく人間に注がれている。その神の愛が家庭において、父母と子女の授受作用を通じて、父母の愛と子女の愛として現れ、兄弟姉妹の授受作用を通じて、兄弟姉妹の愛として現れ、夫婦の授受作用を通じて、夫婦の愛として現れるのである。

 同様に、万有原力という宇宙の根源的な力が宇宙にあまねく作用しており、それが授受作用を通じて万有引力(重力)、電磁力、強い力、弱い力という四つの力として現れているのである。これを現代の物理学の立場から言えば、宇宙が始まる前に、真空には潜在的なエネルギーに満ちたヒッグス場(Higgs field)があり、ヒッグス場の下で粒子は質量をもつようになった。そして真空のエネルギーに由来する万有原力の場の下で、質量をもった粒子と粒子の相互作用を通じて重力が作用し、荷電粒子と荷電粒子の相互作用を通じて電磁力が作用し、クォークとクォークの相互作用を通じて強い力(核力)が作用し、クォークとレプトン(電子、ニュートリノ)の関わる相互作用を通じて弱い力(ベータ崩壊に作用する力)が作用したのである。つまり四つの力は根源的には一つの力であるが、それが各種の相互作用を通じて四つの力として現れているのである。

 生命現象も、細胞と細胞の相互作用、分子と分子の相互作用として説明されるが、そこには背後に生命の場(ライフ・フィールド)あるいは宇宙生命というものが作用していて、それが各種の授受作用を通じて生命現象として現れるのである。生命の場の存在を明らかにしたのがハロルド・S・バー(Harold S. Burr)であった。意識に関しても同様に考えられる。意識の作用はニューロンの相互作用を通じて現れるが、その背後に宇宙意識というべき意識の場が作用していると見るべきである。

 テレビやラジオの中には、いろいろな素子が配線されている。しかしそれだけでは音声も画像も現れない。放送局から来る電波が及んでいなくてはならない。その電波をキャッチしながら、回路のいろいろな素子が相互作用を行い、音声や画像が現れるのである。生命や意識も同じ原理なのである。背後に宇宙生命や宇宙意識の場があってこそ、生命現象や意識の作用が現れるのである。

 ところで意識作用の場合、肉体の脳におけるニューロンの授受作用だけでなく、精神(霊魂)の次元における授受作用も関与しなくてはならない。知情意の機能は能動的なものであり、霊的なものだからである。動物も知情意をもっているが、動物の知情意と人間の知情意は本質的に異なっている。人間の知情意は創造的であるが、動物の場合はそうではない。本論でいう知情意とは、人間の創造的な知情意のことである。人間の心と動物の心の違いについては、本章の後のほうで述べる。

 霊的な存在(霊人体)の関与なくして、ニューロンだけの相互作用から現れるのは動物的な本能にすぎない。すなわち知情意の心が機能するためには、霊人体における授受作用が必要なのである。そして、そこでは霊的な脳における、霊的要素(霊的ニューロンというべきもの)の相互作用がなされていると見るのである。ところで、人間の肉身も霊人体もそれぞれ性相と形状の二性性相になっているので、肉身の性相としての肉心と、霊人体の性相としての生心から成る心をもっている。そしてニューロンの相互作用および霊的ニューロンの相互作用には、その相互作用を統合、総括している心が働いているのである。以上の統一思想の見解を図5-3に示す。

 ここに宇宙意識とは、宇宙にあまねく作用している意識のことであり、それは神の心(本性相)に由来するものである。その宇宙意識が人間の意識の源泉であり、原動力となっているのである。それは神の愛が人間の愛の源泉であるのと同じである。

 人間の意識は個々人によって異なっているので、肉体の脳のニューロンの配線も一人一人異なり、霊人体の脳の配線も一人一人異なっている。ここにおいて肉体の脳は一生を通じて、絶えず変化し、やがて活動を終える。しかし霊人体の脳は肉体の生存中は成長し、肉体の死後も永存していくのである。人間が一生を通じて、また肉体の死後も不変なる人格を維持しているのは霊人体が存在しているからである。

 哲学者のベルグソン(Henri Bergson, 18591941)は『創造的進化』の中で「生命の躍動」(élan vital、エラン・ヴィタール)が生物の進化を導いていると考えたが、彼はそれを「超意識」(supraconciousness)と呼び、さらに「神」とさえ名づけたのであった。

 プロセス神学の提唱者ホワイトヘッド(Alfred N. Whitehead, 18611947)は「宇宙は、物質的な側面だけでなく、感情や価値観といった心理学的な側面をもった無数の経験の鼓動(パルス)からできている(*12)」と述べている。彼らはまさに宇宙意識について考えていたのであった。

 天体物理学者であり、哲学者でもあるアーナ・ウィラー(Arne A. Wyller)は、その著『惑星意識』の中で「人類を含むすべての生命は、過去から現在までずっと、この地球全体に遍在している目に見えない『惑星心場』の中に組み込まれた存在である(*13)」と言って、地球を包んでいる意識について述べている。

 ウィラーは地球を包んでいる意識の存在を主張したが、天体物理学者のフレッド・ホイル(Fred Hoyle)は『知的な宇宙』の中で、外宇宙に高度知性体が存在し、宇宙空間に遺伝コードの切れ端(断片的な遺伝情報)をランダムに送り出していると考えている。それに対して、統一思想では宇宙意識は地球も含めて全宇宙に満ちていると見るのである。

 さらに、われわれの心または意識が生じるためには霊魂(霊人体)の存在が前提になるが、そのことを明確に主張したのが、エックルスとペンフィールドであった。エックルスは「ある程度まで成育した胚に霊魂が注入される。……このように神に創造された霊魂によってこそ、自己認識も不死も考えられる(*14)」と言っている。ペンフィールドも『脳と心の正体』の中で次のように語っている。

 私は医師としての見地からさらに一つの所見を述べようと思う。それは人間の本性を探求するあらゆる試みに関係するものであり、心は独立した存在であるという説に従うものである。それはまた、霊魂の不滅を肯定する所見とさえ言えるかもしれない!(*15)

 今日、唯物論的な脳科学者たちは「ホムンクルスの恐怖」、「醜いペンフィールドの小人」、「評判の悪いホムンクルス」などと言って、霊的な存在を忌み嫌っている。しかしながら、それは真実なる科学者の態度ではなく、感情的な偏見をもった独断にすぎない。霊界の存在に関しては、今日まで心霊能力をもった人にとっては明らかな事実であるが、万民が理解できるというものではなかった。しかしこれからは、万民が認めざるをえない事実として、霊界を探求する課題が科学に課せられているのである。

 ホムンクルスを仮定すると、さらにホムンクルスが受けた情報を処理する「ホムンクルスのホムンクルス」が必要となると言うが、これは宇宙を創られた神が存在するとすれば、その神を創造された神が必要になるのではないかという議論と同様に誤りである。宇宙は時間、空間の存在であるが、神は時空を超越した存在であって、神の原因というものはありえないのである。

 同様なことが、意識に関しても言える。脳自体には意識はないが、人間の霊人体の心(生心)には意識があり、その意識が脳において、情報を読み、判断し、処理しているのである。その意識は知情意の機能を備えているのであり、知情意の機能は、それ自体で機能するものである。すなわち知情意をさらに機能させている「知情意の知情意」のようなものは必要ないのである。

 人間の心は個性的なものであるということも、一人一人の個別的な魂をもった霊人体の存在を認めなくては理解できない。英国オックスフォード大学のスーザン・グリーンフィールド(Susan A. Greenfield)もそのことを「人間の脳をただ見ただけでは、せいぜい男性のものか女性のものかを経験からあて推量できるくらいなものである。この脳の持ち主が優しかったか、ユーモア感覚があったかを完全に判定するのは不可能だ(*16)」と述べている。人間一人一人の個性をもった人格というものは脳に由来するものではなく、霊人体の心に由来するのである。


*11 リタ・カーター、藤井留美訳『脳と心の地形図』原書房、1999年、298頁。
*12 アーナ・ウィラー、野中浩一訳『惑星意識』(日本教文社、1998年)218頁より引用。
*13 アーナ・ウィラー『惑星意識』の「プロローグ」より。
*14 ジョン・エックルス、ダニエル・ロビンソン、大村裕・山河宏・雨宮一郎訳『心は脳を超える』紀伊国屋書店、1989年、259頁。
*15 ワイルダー・ペンフィールド、塚田裕三・山河宏訳『脳と心の正体』法政大学出版局、1987年、145146頁。
*16 スーザン・グリーンフィールド、新井康允訳『脳が心を生みだすとき』草思社、1999年、179頁。

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 次回は、「精神と物質はいかにして相互作用をなしうるか」をお届けします。


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