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心情開拓
心霊を育てる生活原則(143)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

11 肯定的受肉
(1976年912日 東京教会)

▲李耀翰先生

惰性的な人間関係

 特に私たちが失敗するのは、み言(ことば)とか儀式とか、そういうところでは、相当厳粛な、厳かな、自分の姿勢をもって接するけれども、生活圏では、それが崩されてしまうのです。それが大きな悩みです。結局、お互いの人間関係でです。結局、不信というものが、どこで起こるかというと、お互いの人間関係でです。

 自分とアベルと、自分とカイン。その関係で結局、不信条件が結ばれるというか、条件が立てられるのです。カイン側のほうを、あまり貴重に取り扱わないのです。アベルのほうはアベルだから、自分よりアベルと思うから、そこには多少貴重と思う心をもつけれども、カインのほうには、「ああ、そうか」とこうなってしまうのです。これが大きな問題です。

 親切な人はアベルに対しても、カインに対しても同じでなければなりません。それが親の心です。親は長男にも、次男にも、不具者にも、かえって不具者に対しては、もっと貴重に思うのです。だから、親の愛は相当家庭に責任をもった長男に接する時も、家庭に相当負債をかける、心配をかける、ちょっと物足らない子を見ても、それは変わりありません。あるいはもっとそこに気を遣い、神経を遣い、もっと貴重に思うのです。それが親の心です。

 アベルに対しては、ちゃんと服従しようという心を、姿勢をもつけれども、カインに対してはそうではないのです。結局、歴史はそれで延長に延長を重ねるようになったのです。カインはアベルに対して、自分の弟であるアベルに対して「なんだ、気持ちが悪い。お前のような者を、神が愛したのか、畜生」となったのです。そこで、結局、歴史は混乱したのです。私たちの動機も、そういうところで混乱してしまうのです。

 だから、どこで私たちの情の生命を失うかというと、そういうところで失ってしまうのです。祈祷して、み言を学んで、また再復帰しようと、復活しようとしても、失ったところに行かないと再復帰できないのです。まあ、長成期までは、神様は隣(あわ)れみ深く、そのような癖があるのを知っていても、幼いからと、祈ったなら、「ああ、よしよし、今までしくじったのを記憶しないでおこう。これからは失敗しないように」と、教えてくださるのです。それでも私たちは、また、そういうやり方、考え方をするのです。

 惰性によっているのです。本性を中心とした成長ではなく、惰性的な考え方をしてしまうのです。自分が主体者に対してもったその本性でもって、カインに接するのが、本当なのです。相手によって変わる人は惰性です。環境に支配されるのが惰性なのです。どういう環境にも、崩れてはいけないのです。上がり下がりしてはいけないのです。そのアンテナを引っ張ったり、低くしたりしてはいけないのです。そこが、私たちの責任なのです。それを保つために、命懸けで暮らしているのです。

 どんな環境にも、中心をもって闘うのが私たちの責任です。それを神様はできないのです。それだけでは、神様もできないのです。私たちに、中心を、動機を与えてくださるのが神様です。それは、神様の主体者としての責任ですが、それをもち続けるのは私たちの責任です。それが、心情の貞操を守る人です。乙女です。新郎に対しての新婦です。だから、動機がどうなっているのか、動機の内容がどういうふうに成長しているのか、それを自分で反省すべきだと思います。知るべきだと思います。それをほっておけば、主客転倒になり、完全に狂ってしまうのです。

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 次回は、「今は心情復活時代」をお届けします。


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