https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=22576

小さな出会い 16

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「小さな出会い」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭の中で起こる、珠玉のような小さな出会いの数々。そのほのぼのとした温かさに心癒やされます。(一部、編集部が加筆・修正)

天野照枝・著

(光言社・刊『小さな出会い』〈198374日初版発行〉より)

できるだけ捨てて

 引っ越しをしました。数年前は夫婦二人、質素につつましく出発したわが家庭も、何と荷物の多くなったことかと驚きました。

 わたしは、押入(おしいれ)や物置きの多い田舎(いなか)の農家で、物を取っとくのが好きな母親に育てられたせいか、捨てるということがへたです。包装紙、紙袋や紐(ひも)なども買物のたびに増えます。押入にそれを入れておいたら、ある日、何気なく開(あ)けた夫の上にドドッと降(ふ)りかかったそうで、「ナーンだいこりゃあ!! いったい何にするつもりなの?」と叱られてしまいました。

 「だってこの袋、こんなにきれいで穴もあいていないし、捨てるのはもったいないじゃない」

 「それなら、しまっておかないでどんどん使いなさいよ」

 まったくその通りなのですが、どうも、いつか何かの役に立つだろうとしまっておくことの方が多いようです。

 「私、ぼろを捨てられないで困るよ」と、最近母が嘆(なげ)いていましたが、物が少ない時代を通過した者の、共通の感慨かもしれないと思います。小学校の低学年のころ、キャンデーの美しい包み紙を捨てる子はいませんでした。ねじったシワをていねいにのばして、千代紙を張って作った小箱にためたのを覚えています。

 そして紙はまた、薪(まき)を燃やしたり炭をおこしたりする大切な口火役でした。空気を混ぜるようにふわっと丸めて七輪に入れ、火をつけ、細く裂いた木や枝に燃え移らせ、その炎を消さないよう枝をやぐらに組んで炭をおこす……あの大変な懐かしい仕事も、小さな子たちの役目でした。うまくやらないと煙ばかり出ました。

 布きれも、色とりどり捨てずに取っておいて、同じ色を捜してはつくろいものをしました。くつ下の穴の修繕(しゅうぜん)が小学校の家庭科にあって、私はとても上手でした。私は、赤ん坊のころ終戦を迎えたので本当の物の欠乏は知りませんが、“捨てずにとっておく”ことだけは身に沁(し)みついている感じです。

 「今、東京の土地のねだんは、週刊誌大で一万円なんですって。だから、物置なんかおいてガラクタつめこんで、何万円ぶんも場所を取るより、できるだけ捨てて、すっきり暮らすのが都会の生活学ですってよ」

 同じ寮に引っ越すお隣の奥さんが、そう教えてくれました。移転先の収納庫は押入ひとつ、そのうち半分はふとんを入れるとあっては、まさにその生活学を実践する外はありません。

 折悪(あ)しくかぜを引きこみ、熱も出てボーッとなった私は、「これもいらない! これも捨てる!」と叫びはじめ、夫が外国から土産に買ってきてくれたものなども捨てました。

 「えーっ、これも?」とがっかりする夫に、「あなたがいるなら取っといてください、私はいりません」なんて憎たらしい進軍ラッパを鳴らしているうちに、かぜがひどくなってダウン。最後の応援にかけつけてくれた親愛なる兄弟姉妹たちのお陰で、やっとまにあいました。

 そして、ああ! 移転先でフーフーと荷物整理していると、「天野家は手品のように、後(あと)から後から物が出てきますね」と、捨てたものを全部、運んできてくれたのでした。

---

 次回は、「豊かな食事」をお届けします。