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心情開拓
心霊を育てる生活原則(138)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

10 あなたが成長するために

▲李耀翰先生

(質問10)生活の中での信仰基台や実体基台ということが、よく分かりません。兄弟間での葛藤(かっとう)や煩悶(はんもん)は、どうすればよいのですか

 信仰基台と実体基台の話というか、質問はよく出てきますが、これは、合致していなければならないのです。「原理」の実践生活が実体基台です。信仰基台と実体基台は、二つではなく、一つなのです。

 信仰とは、主体者を悟ったとか、み言(ことば)を悟ってとか、何かポイントをつかまえたということで、分かったのだから責任があります。責任を果たすこと、それが実体基台です。自分が「原理」を実践して、それを繁殖せよということなのです。兄弟に繁殖せよ! 知ったそのものを、善ならすぐ繁殖しなければならないのです。善を繁殖しない者は、打たれます。だから霊的に讒訴(ざんそ)されるのです。「なぜお前は、それだけ偉大な理念を知りながら、そんな生活をしているのか」と、祖先はほっておかないのです。

 知らずにいる時は、憐(あわ)れみをもたれますが、知った場合でも、知らない時と同じ生活をすれば、霊界から恨まれるのです。

 実体生活には責任があるのです。実体基台をしっかりもてば、存在する環境の中で現れなくてはならない。私たちの生活の中に自分の主体者がいるのです。

 カインもアベルのアベルであり、アベルもカインもアベルであるというのが信仰です。その上で、お互いに補っていくと情が復活されていきます。何か価値を悟るのです。それが実体基台、受肉するということです。

 私は、あの人と葛藤したんだけれど、葛藤する中で自分も何か再発見した、そこで結ばれた因縁、ヤコブとエサウが会った時に、ヤハウェと会ったごとく喜んだのです。ヤコブはエサウに告白し、その時の実体基台も長く時間をかけて積み重ねてきたのです。僕(しもべ)ではないのに僕生活をして、僕を主人のごとくにしたのです。

 私たちの生活の中で、何か葛藤する雰囲気もあるし、合う面もあるし、それを自分によって影響し合いながら、負債にならないように、何か環境にためになりながら通過していかなくてはならないのです。引っ掛かってはいけない。負債を与えながら、その環境を通過することです。負債を受けずに、自分が負債を与えるようにするのです。

 信仰基台までは迫害がありますが、実体基台には迫害がないのです。あってもそれは、実体基台を強くするためであって、もっとそういう中で情的に深くつながり、そういう中で結ばれた者は、永遠に離れられないのです。

 だから私たちは、信仰基台と実体基台を結ばせるための環境であるということになってくる。ヤコブの21年間の路程は難しく、悲しい路程でしたが、それは永遠のイスラエルとして、祖先として光になったのです。だから私たちの環境がいくら悪くても、それは永久性の価値を含めて与えるために、という自覚をもてばいいのです。

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 次回は、「過去の問題は忘れなさい」をお届けします。


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