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シリーズ・「宗教」を読み解く 298
日本キリシタン巡礼 7
日本の代表的殉教者、原主水胤信

ナビゲーター:石丸 志信

 江戸の大殉教で処刑された50人の中で日本人の代表的人物は原主水胤信(はら・もんど・たねのぶ)だった。
 彼は1587年、千葉の臼井城代・原胤義の嫡子として生まれた。幼名は吉丸。胤信は、受領名から原主水として知られている。

原主水らが殉教の道をたどった札の辻(現・東京都港区)の元和キリシタン遺跡

 1590年に臼井城は豊臣方に攻められて陥落した。父は小田原城の合戦で北条方に付いて戦ったが、捕らえられ自害させられている。
 この時江戸に入った徳川家康は、関東一円の旧北条方の家臣らを召し抱えた。

 1600年、元服を迎えた原主水は、家康の小姓に取り立てられた。同年、大阪城で家康に仕えていた時、イエズス会のペトロ・モレホン神父から洗礼を受けキリシタンとなった。彼の洗礼名はジョアン(ヨハネ)。

 1603年、徳川家康が征夷大将軍に任ぜられて江戸幕府を開いた時、将軍に従って江戸に入り御徒衆の頭となった。
 2年後家康は将軍職を退き、嫡子秀忠を立て、1607年には駿府城に移った。この時、原主水も家康に付き従った。

 当時、家康の家臣にも多くのキリシタンがおり、城下にもキリシタン寺と呼ばれた教会があった。ところが1612年に起こった岡本大八事件、すなわちキリシタンによる贈収賄事件が発覚し、それを契機にキリシタン禁教令を出すに至った。
 駿府の家臣53人がキリシタンであることが発覚、改宗を迫るが転ばなかった14人は追放された。

 原主水は、一族を頼って岩槻城下に下り、そこでかくまわれていた。しかし2年後に捕らえられて駿府に送られた。額に十字架の烙印(らくいん)を押され、手足の指は切断された。そして腰の腱(けん)を外され放逐された。

▲岩槻城址公園(さいたま市岩槻区

 彼は近くの僧侶に助けられ寺でかくまわれていたが、回復すると江戸に行って、病人の世話や布教活動を続けた。1623年になってかつての家臣から密告され捕縛されてしまった。

岩槻城址公園内の白鶴城址碑(岩槻城は白鶴城とも呼ばれている)

 原主水と共に札の辻で火刑に処せられたデ・アンジェリス神父とガルベス神父は、1867年にローマ教皇ピウス9世によりカトリック教会の福者に列せられていた。

 原主水は、2008年になってペトロ岐部をはじめとする江戸初期の殉教者188人の一人として、ローマ教皇ベネディクト16世により福者に列せられた。



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