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脱会説得の宗教的背景 18
キリスト教は仏教の説く「汎神論(内在神)」を嫌う宗教

教理研究院院長
太田 朝久

 YouTubeチャンネル「我々の視点」で公開中のシリーズ、「脱会説得の宗教的背景/世界平和を構築する『統一原理』~比較宗教の観点から~」のテキスト版を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。
 講師は、世界平和統一家庭連合教理研究院院長の太田朝久(ともひさ)氏です。動画版も併せてご活用ください。

キリスト教が「汎神論」を嫌う理由
 キリスト教は徹底的に「汎神論(内在神)」を嫌います。なぜ「汎神論」を嫌うのか、理解を深めておく必要があります。
 以下、その理由を説明します。

①創造原理的な観点からの説明
 「汎神論」は、神が宇宙を“創造”されたことを否定します。
 創世記11節に「はじめに神は天と地とを創造された」とあり、神が宇宙を創造したとします。
 まず神が存在し、神が宇宙を創造された。故に宇宙には始まり(創造)があり、終わり(終末)があるとします。

 ところが、東洋思想では「無始無終」であり、始まりがなく、終わりもないと考えます。
 これでは、キリスト教の説く創造神と相いれません。また、もし森羅万象(自然界)が神なら、神の完全性や人格性を疑わざるを得ません。自然界は絶えず変化し、東洋思想ではそれを「諸行無常」といいます。

 一方、キリスト教の説く神は、“永遠不変”であり、“絶対性”を説くため、その神観と相いれないのです。

➁堕落論的な観点からの説明
 「汎神論」は、「罪の発生」「悪の存在」を説明しにくい論理構造があります。宇宙や自然界が神そのものなら、宇宙に罪(悪)が生じた場合、それは神の内部から罪(悪)が発生したことになります。
 いわば、神の内部から腐敗が始まった、神が自己矛盾したかのような意味になります。

 また「汎神論」は、神仏が宇宙(自然界)に内在すると考えるため、宇宙(自然界)とは別に、神やサタンという別の人格が存在することを想定しないため、人間の堕落行為を誰かが讒訴(ざんそ)しているという「罪」の概念が成立しません。

 それ故、「汎神論」は悪を“性質の歪み”として把握せざるを得ず、救済論も、キリスト教が説く十字架の「贖罪(しょくざい)観」と異なるものになるのです。

 キリスト教では、神は宇宙(自然界)と分離(超越)しており、罪(悪)の発生について、それを神に対する人間の“反逆”として説明しやすいのです。

 ちなみに、神が創られた世界に、なぜ悪(罪)が発生したのかついて、「統一原理」は明確に解明しています。これについては、別の機会に説明しようと思います。

③復帰原理的な観点からの説明
 「汎神論」は、前述したように、罪(悪)を“性質の歪み”として把握します。それ故、救済観は“性質の歪み”を修正するという内容面の変更になります。

 仏教の修行僧のように、自分の努力(自力)によって悟りを開き、本来の状態に戻るという“救済観”が説かれるのです。人間の努力(自力)によって煩悩から解脱するというのは、キリスト教が説く十字架を信じる“絶対他力”の救済観とは相いれません。

 キリスト教は、イエスの十字架によってのみ“罪が贖(あがな)われる”という他力信仰です。
 「汎神論」なら、内容面の変更(性質の変化)によって救われると考え、十字架神学が崩壊するため、仏教の修行などによる救済観を認められないのです。

 以上のことから、キリスト教は、仏教の説く「汎神論(内在神)」を嫌う宗教であることを理解しておく必要があります。

(続く)

※動画版「脱会説得の宗教的背景 第5回『超越神』(創造神)と『汎神論』(内在神)の和合統一」はこちらから