シリーズ・「宗教」を読み解く 296
日本キリシタン巡礼 5
元和の三大殉教から400

ナビゲーター:石丸 志信

 元和(16151624)は大殉教の時代だった。
 1619年(元和5年)106日に京都で捕らえられた橋本太兵衛一家をはじめとするキリシタン信徒52人が鴨川六条河原で火刑に処せられた。
 これは、二代将軍・徳川秀忠が上洛して主導したものだった。

 1622年(元和8年)910日、長崎の西坂でイエズス会士カルロ・スピノラ神父、日本人初の司祭セバスチャン木村神父ら聖職者9人を含む55人のキリシタンが火刑、斬首になった。

 秀忠が将軍職を嫡男家光に譲り大御所となった1623年(元和9年)の124日(旧1013日)、江戸で捕らえられた50人のキリシタンが火刑に処せられた。その日、彼らは小伝馬町の牢屋から引き出され、町外れの札の辻まで歩かされ、東海道沿いの海を見下ろす丘の中腹に立てられた50本の柱に縛り付けられ火に焼かれた。

▲徳川家光(ウィキペディアより)

 徳川家光は1623821日に京都で征夷大将軍に任じられ、1018日に江戸に戻ると、祖父の家康、父の秀忠が示した基本政策を踏襲し、強固な幕藩体制の確立と維持のための諸制度を整備していく。キリシタン禁制による宗教政策も主要な柱であった。

 秀忠は将軍職を譲った後、父・家康に倣い大御所として実権を手放してはいなかった。江戸の大殉教の決定は、秀忠が1030日に江戸に戻るのを待って決定されている。秀忠の意向が強く反映されていることは間違いない。
 上記は元和の三大殉教ともいわれるが、その全ての決定に秀忠が関与していたことになる。

元和キリシタン遺跡(江戸芝口札之辻刑場跡)

 札の辻で処刑されたキリシタンの代表者は、イエズス会のジェロニモ・デ・アンジェリス神父、聖フランシスコ会のフランシスコ・ガルベス神父、そして、駿府で徳川家康に仕えていた原主水(はら・もんど)ら。50人の殉教者のうち名前が分かっているのは37人である。

坂の上が元和キリシタン遺跡

 デ・アンジェリス神父は、1602年に来日し、京都で布教した後、1614年に京都・大坂から津軽地方に流刑になった加賀金沢藩士たちの求めで東北地方に拠点を移し、津軽地方をはじめ各地を巡回した。
 蝦夷地まで2度ほど足を延ばして現地の調査をしている。会津で活動したのちに江戸に戻った時に捕らえられている。

デ・アンジェリス神父

 ガルベス神父は1605年に来日、境で布教活動を行っていたが、1614年キリシタン追放令によりマニラに追放にあったが、1617年に再来日し活動を続けていたが、鎌倉の信徒の所に出かけていたところを捕らえられている。
 彼らが信仰の故に捕らえられ殉教した日から数えると、今年はちょうど400年目に当たる。



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