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ダーウィニズムを超えて 28

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

第二章 進化論を超えて─新たな展望

(三)人間の創造

(3)万物の霊長である人間

1. 人間の脳にある文法、構文
 人間の脳は超精密な器官であり、脳をコンピューターに例えれば、人間の脳には、動物の脳には見られない構文や文法のハードやソフトが組み込まれているのである。

 ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)やスティーヴン・ピンカー(Steven Pinker)などの言語学者は、「記号言語の使用もおそらく遺伝的な適応で、人間の脳には構文や文法がどういうわけか組み込まれているのだ」と言う(*55)。

 ユージン・E・ハリスによれば、「言語の使用は現生人類に特有の行動であって、最近になってようやく獲得されたのだとする説によれば、言語に必要な神経のしくみは、現生人類の進化の途中で独立に起こった遺伝的変化によって生まれたということになる。しかし、現時点ではこの説はかなりあやふやなものと言うしかない。とくに、言語のもととなっている遺伝子が何個あって、ゲノムの中のどこに位置しているかについては、ほとんどわかっていない(*56)」のである。

 結局、言語に必要な構文や文法は、なぜ人間の脳に組み込まれているのか、進化では説明できず、謎のままである。

2. チンパンジーは言語を操れない
 ロバート・オークローズ、ジョージ・スタンチューによれば、「動物に言語を教えようとしたさまざまな試みがどれもうまくいかなかった(*57)」のであり、手話の学習に関する研究プロジェクトにおいても、「ニム(チンパンジーの名前)はシンタクス(構文論)の証拠ももたらさなければ、形容詞を名詞につけることすらしていなかった(*58)」のである。

 チンパンジーは目に見えるもの、肉体的な欲求に関するものにたいしては、工夫することができるが、言語を操ることは全くできないのである。

3. 観念・概念を総合する人間
 人間の心には、知情意の機能と、心の中に思い浮かべる観念や概念等のイメージがある。そして知の理性に基づいて、観念や概念を連合・複合させながら、たえず新たな構想を描くことができるのである。ロバート・オークローズ、ジョージ・スタンチューは、そのことを次のように述べている。

 自然界の生物のなかでは、われわれ人間が完全な意味での作用力を享受している。われわれ人間は、望みとあらば別の目標で代用できることを知りながら、特定の動作の目標を自分自身に提案し、その目標を実現するための適切な手段を自由に選択する。われわれは動作を起こす前に、考えられるさまざまな結果を心の中に思い浮かべ、それにしたがって決定を下す。理解力を備えているおかげで、われわれは自分が作用を及ぼす主体者であることを熟知している。理解力がその人の動作を再考し、その動作そのものを理解することができるからである。選択を行なう能力である意志は、他の能力を作動させるわけであり、いちばんの主体者である(*59)。

 元城西国際大学経営情報学部教授の望月清文は、人間には概念的なイメージを構築する能力があると言い、それは哲学者、中村雄二郎の言う“共通感覚”のはたらきによるものだと言う。望月は、次のように述べている。

 それ[共通感覚]は、五感や直感など、いくつかの感覚を通して入ってくる諸々のものを統合させて、一つの概念的イメージを構築する能力である。言葉によるコミュニケーションにしても、そこでは、相互に係わりのない言葉の並びから、全体で一つとなるイメージが作り上げられているし、機械にしても、個々別々な部品の集積が一つの機能を生み出しているが、それらを可能にさせているのは、人間の抱く概念世界において全体を一つに統合する共通感覚の存在である。……この共通感覚こそ、人間を人間たらしめているもっとも基本的なものであり、まさに人間性の心の大地と呼べるものである(*60)。

 望月は、さらに人間には、各民族の言語の違いを超えたイメージの鋳型があるという。これは統一思想で言う、心の中の“原型”に相当するものである。望月清文によれば、

 要するにイメージの鋳型が心の基盤にあって、どんな言語であれ、どんな言葉であれ、同じイメージの鋳型を持つ人には、言語や言葉に左右されない、似たようなイメージが創出されるということである。共通感覚の誕生は、人類に概念の世界というそれまでの生物にはなかった新しい世界をもたらしたのであり、それは、まさに新しい種の誕生、現代人の心を持った新たな種としての新人誕生に他ならない(*61)。

 京都大霊長類研究所の松沢哲郎と中部学院大、滋賀県立大のグループは、人間の子供とチンパンジーを比較する研究で、想像をもとに絵を描けるのは人間だけだったという結果を発表した。

 1~3歳の人間の子供約60人と、チンパンジー6頭に絵を描かせる実験を行い、結果を分析。……目や鼻のない猿の顔を見せたところ、欠けた部分を補って描き入れることができたのは、人間の子供だけだった(*62)。

 この研究は、人間には、観念・概念を総合する能力があり、内在するイメージ(原型)を思い浮かべることができるが、チンパンジーにはそのような能力はなく、今そこにないものを思い浮かべることはできないことを示しているのである。(図23参照)

4. 倫理のある人間
 ダーウィンは「人間と下等な動物の違いのなかでも、もっとも重要なのは倫理感あるいは良心である」と言い、良心について、「これは短いが決定的な言葉、“ねばならぬ”でいい尽くされている」と定義した。“ねばならぬ”とは「規範」または「戒め」であり、人間社会において、道徳や倫理と呼ばれるものである。ところが彼は、道徳や倫理がいかにして成立したのか説明できないまま、ただ進化によって生じたと主張するだけだった。それに対してダーウィンの進化論を強力に擁護して「ダーウィンのブルドッグ」と呼ばれたハクスリー(Thomas Henry Huxley)は、道徳や倫理は進化によって説明されるものではないということを認めた。そして彼は、道徳や倫理は進化とは別の原理によって説明されなくてはならないと言ったが、その起源を明らかにすることはできなかった。

 イギリスの発生生物学者であるウォディントン(C.H.Waddington)は、「人間以外の動物世界では、進化のプロセス自体になんら倫理的資質があると思えない。……人間だけがひとり倫理化する存在であり、倫理を求めるのだ(*63)」と言いながら、生物進化の立場から人間がいかにして動物的存在から倫理的存在になったかを論じた。そして彼は、人間社会における権威システムの発達が倫理体系の樹立を導いたと言い、進化の目指すところは豊かな生であるといった。しかしそれでは動物には倫理はなく、人間だけが倫理的な存在となったという説明にはならない。動物世界にも権威システムはあり、動物たちも豊かな生を求めているからである。結局、生物的進化から人間の倫理性を説明することはできないのである。

 その後、倫理を進化論の立場から語ろうとする「進化倫理学」が論じられるようになった。しかし、実際に人間の倫理を生物的進化から明確に説明できていない。ダーウィニズムでは決して道徳や倫理を保証することはできないのである。

5. 霊性を持つ人間

5万年前の文化のビッグバン
 1978年に行われた、ハワイ大学のレベッカ・キャン(Rebecca Cann)らによるミトコンドリアDNAの変異の研究により、現代人のミトコンドリアDNAの持っている変異は、20万年前にアフリカにいた1人の女性(ミトコンドリア・イヴと呼ばれた)のミトコンドリアDNAに由来するという結論に達したのであった。さらにその後に行われたY染色体分析によると、ミトコンドリア・イヴに相対する男性「アフリカン・アダム」が20万~5万年前にアフリカに存在していたという(*64)。

 そして5万年前、「人類の文化の曙(あけぼの)」、「創造的爆発」、「偉大なる飛躍」、「社会的ビッグバン(*65)」ともいうべき、人類の夜明けが始まったのである。フランスのショーヴェ洞窟の壁画は、「先史時代のレオナルド・ダ・ヴィンチのような芸術家(*66)」が描いた、見事なものである。ニューヨーク大学のランドール・ホワイト(Randall White)によれば、彼らは「神経機能面の能力としては月に行ける状態にあった(*67)」のである。

 文化の曙によってレオナルド・ダ・ヴィンチのような芸術家が現れたこと、彼らは月に行けるほどの知的な可能性を持っていたということは、何を意味するのであろうか。彼らは単に肉体だけの存在ではありえないことを意味している。

 したがって、統一思想の立場から見るとき、20万年前~5万年前のある時点で、現代人とほぼ同じ肉体を持った肉体としてのヒト(ホモ・サピエンス)が造られ、およそ5万年前に、霊を吹きこまれた人間、すなわちアダムとエバが創造されたと見ることができよう。

②内なる人間としての霊人体
 神経科学者のジョン・エックルス(John Eccles)は、意識的な経験は、神経組織の中で進行しているが、神経組織とは別次元のものであると述べている(*68)。そして次のように結論した。「唯物論者の答では、われわれが経験してきた特異性は説明できないので、われわれの魂の特異性については超自然的な精神創造のせいとするしかない。神学的な説明をするとすればこうなる。すなわち、個々の魂は、受精から出産までのあいだのある時点で発育中の胎児に〈付与〉される、神の新たなる創造物なのである。(*69)」

 ロバート・オークローズ、ジョージ・スタンチューは、物理的自然の領域は、人間と人間の心とによって完成されるという。すなわち、神は人間を万物の霊長にせしめたというのである。

 人間においてはじめて、自然は己を知ることができる。自然が芸術作品のようなものならば、それは心が熟考の対象とすべきものであり、創造者である〈大いなる心〉そのものではない。自然の創造者は、そこにその心と仕事を反映させるだけでなく、それを観察する者すなわち人間も必要とする。つまり、物理的自然の領域は、人間と人間の心とによって完成されるのだ。人間以後の一歩は、自然界の等級を完全に越えたものとなるはずで、一部なりとも進化の産物ではありえないだろう(*70)。

 そして、「視覚の経路をいくら深く探ろうとも、最後は、知覚の対象に視覚的な像を伝達する『内なる人間』が存在すると仮定する必要がある(*71)」と言う。われわれは内なる人間としての霊人体、そして万物の霊長としての人間を認めなくてはならないのである。


*55 ジェリー・A・コイン、塩原通緖訳『進化のなぜを解明する』日経BP社、2010年、396頁。
*56 ユージン・E・ハリス、水谷 淳訳『ゲノム革命』早川書房、2016年、174頁。
*57 ロバート・オークローズ、ジョージ・スタンチュー、渡辺政隆訳『新・進化論:自然淘汰では説明できない』平凡社、1992年、134頁。
*58 同上、135頁。
*59 同上、147頁。
*60 望月清文『素粒子の心、細胞の心、アリの心』水曜社、2015年、94頁。
*61 同上、11819頁。
*62 産経新聞、20141028日。
*63 CH・ウォディントン、内田美恵他訳『エチカル・アニマル』工作舎、1980年、149頁。
*64 リチャード・G・クライン、ブレイク・エドガー著、鈴木淑美訳『5万年前に人類に何が起きたか?』新書館、2004年、199頁。
*65 同上、286頁。
*66 同上、282頁。
*67 カール・ジンマー、渡辺政隆訳『進化大全』光文社、2004年、410頁。
*68 ロバート・オークローズ、ジョージ・スタンチュー『新・進化論:自然淘汰では説明できない』89頁。
*69 同上、37475頁。
*70 同上、378頁。
*71 同上、85

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 次回は、「雌雄の愛の過程を通じた創造」をお届けします。


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