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ダーウィニズムを超えて 29

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

第二章 進化論を超えて─新たな展望

(三)人間の創造

4)雌雄の愛の過程を通じた創造
 ダーウィンは『種の起原』の「自然選択」の章で「自然淘汰は、日々刻々と世界中でわずかな変異を精査している。悪い変異は取り除き、良い変異はすべて保存して蓄積しながら、機会さえあればいついかなる場所であろうとも、それとわからないように黙々と、有機的および無機的生活条件について個々の生物の改良にあたっている」と述べた。

 しかし、選んだ変異をどのようにして子孫に伝えるのであろうか。首が伸びたり、耳が伸びたりしても、体細胞の変化はそのまま子孫には伝わらないのである。

 ここで茨木県つくば市の農業生物研究所が開発した、光る絹糸を作るカイコの遺伝子組み換えの例を見てみよう。それは次のようにしてなされたのだという。すなわち、「カイコの卵のうち、精子や卵子の元になる細砲(始原生殖細胞)だけに蛍光遺伝子を注入。この卵から育った、蛍光遺伝子が組み込まれた精子と卵子を持つ成虫を交尾させ、全身に蛍光遺伝子が組み込まれたカイコを作った(*72)」のである。(図2-4参照)

 結局、生殖細胞、それも精子と卵子の元になる始原生殖細胞において、遺伝子の組み換えがなされることによって、光る絹糸を作るカイコができたのである。

 望月は「既存の生物の生殖細胞に新たな統合力が働きかけることで、その中にあった既存のゲノムが、新たな統合力のもとで新たなゲノムへと再編され、そうして出来上がった生殖細胞によって、新たな種が誕生してきているのかもしれない(*73)」と述べている。ここで、新たな統合力とは、ロゴスであり、生命の波動であると理解される。

 発生学者、団まりなは、「始原生殖細胞は次世代の個体のもの」であって、次世代につながるのは、体細胞でなくて、始原生殖細胞であると述べていた。

 生殖細胞はなぜほかの細胞とは別扱いされなければならないのか。この疑問に答えてくれる実験事実は存在しない。したがって、推測するほかない。私の推測は、次のようなものである。始原生殖細胞は、胚の細胞ではない。始原生殖細胞は次世代の個体のものであり、それを生み出す胚の一部であってはならない(*74)。

 したがって神の創造においても、始原生殖細胞において、遺伝子組み換えが行われることによって、新たな種がつくられたと理解できるのである。文鮮明(ムン・ソンミョン)師も、生物は「雌と雄が愛の過程を通過して発展した」と、次のように述べている。

 今日、一般の人たちは、人間は進化し、発展したのだと信じている。しかし、どんな動植物を見ても、片方の雌だけで発展してきたのではなく、[片方の雄だけで発展してきたのでもなく]、雌と雄が共に作用して発展したのである。また、低級なものから高級なものまで、繁殖し発展するためには、雌と雄が愛の過程を通過しなければならない。でなければ、発展はありえない。猿の骨を調べて、構成や形態や構造などが人間の骨格と同じだといっているが、だからといって猿が人間になったというのであろうか(*75)。

 進化論では生存に適したものが生き残るというようにして、進化したと言う。しかし首の長いものが有利だからといって、オカピのようなキリンの先祖型の動物の首が伸びて、キリンに進化するわけではない。体細胞の変化が子孫に伝わるのではないからである。また雄だけ進化しても、雌だけ進化しても、その変異は子孫につながらないのである。したがってオスとメスが交わる愛の過程において、神の創造力である第三の力(宇宙的な力)が作用して、精子や卵子の元になる細胞(始原生殖細胞)に新たな遺伝子が注入されなければならない。すなわち雄と雌の愛の過程を通じて新しい種が生まれてくるのである。神はそのようにして、次第に愛のレベルを高めながら、種類に従って万物を創造されたのであった。これを愛の前進と言う。すなわち神の創造は、愛の階段を上昇しながら、人間における愛の完成を目指して創造がなされたのである。

 ここでホーマー・ダンカン(Homer Duncan)の言葉に耳を傾けてみよう。

 創造と進化との戦いは、きれいごとのゲームではない。単に他方が間違っていると立証するだけの事柄でもない。創造と進化との戦いは、神とサタンとの大規模な戦いの一部分として重大なものである。人間の心と魂をかけての戦いなのだ(*76)。

 進化論によって、神は創造主の位置から追われて、それに代わって自然選択が創造主の位置に立っている。そして神は囹圄(れいご)の身となり、身動きできなくなっているのである。今こそわれわれは、進化論を克服して、神を解放し、本来の位置に戻してあげなければならない。そうして神が本来の位置に立たれるとき、神の創造理想であり、人類が切に願ってきた理想世界である、エデンの花園が実現されるようになるのである。


*72 夕刊読売新聞2014828日。
*73 望月清文『素粒子の心、細胞の心、アリの心』水曜社、2015年、157頁。
*74 同上、157頁。
*75 文鮮明「真なる愛と統一世界」、久保木修己監修『文鮮明師と新ソ連革命』光言社、1990年、49頁。
*76 ホーマー・ダンカン、佐藤是伸訳『進化論―その盲点をつく―』いのちのことば社、1981年、97

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 次回は、「ドーキンスの進化論と統一思想の新創造論」をお届けします。


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