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シリーズ・「宗教」を読み解く 286
キリスト教と日本 65
命尽きるまで「蟻の街」のためにささげた人生

ナビゲーター:石丸 志信

 ゼノ修道士との出会いで北原怜子(さとこ)の人生は一変した。
 彼女は、ゼノ修道士が支援していた「蟻(あり)の街」の存在を初めて知った。ゼノ修道士に案内されて、貧しいながらも肩寄せ合って懸命に生きる「蟻の街」の人々の生活をつぶさに見せられた時、怜子は東京のど真ん中にこんな生活をする人々がいるのかと衝撃を受けた。そして、すぐにゼノ修道士を手伝うことに決め、日々「蟻の街」を訪問しては、その街に住む子供たちの面倒を見た。

 しかしある時、「蟻の街」の共同体のリーダー格の一人で「先生」と呼ばれた文筆家の松居桃樓(とうる)が、怜子に面と向かって言った。
 「《助けてやる》という気持のときには、助ける人が上で、助けられる人が下なのです。つまり《助けられる人》を見くびっているのです。だが、ほんとうの同情というのはそんなものじゃない。上も下もなしに、肩を並べて、一緒に悩み、一緒に苦しむことなんです」「あなた方がやってる慈善事業なんて、あんなものは、一種の虚栄だ。自己満足の遊戯にすぎない」(松居桃楼『アリの街のマリア 北原怜子』春秋社 1973年 9293ページ)

 松居の言葉が怜子の胸に深く突き刺さったが、この時の怜子には言い返す言葉もなかった。
 その後しばらく病の床に伏したが、再び元気を回復した時には、「下駄屋の娘」を廃業し「バタヤの娘」になると決心した。
 「蟻の街」に住み込み、子供たちと一緒にくず籠を背負い、リヤカーを自ら引いてくず拾いを始めるのだった。

 彼女の姿を新聞記者が捉え、「蟻の街のマリア、教授令嬢が空き缶拾い」と記事に書いた。
 ゼノ修道士と共に北原怜子の名も「蟻の街のマリア」として全国に知られることとなった。

 己を捨てて主に従う決心で「蟻の街」に飛び込んだ怜子だったが、世間の評判が高まるにつれ、またそれも己の慢心だったと気付かされ、深く悔い改めることになる。

 その後、結核が再発した怜子は、「蟻の街」を離れ療養せざるを得なくなった。病状は思わしくなかったが、命尽きるまで「蟻の街」のためにささげたいと願った怜子は、再びその場所に戻った。病床に伏す怜子のできることは、ただ彼らのために祈ることだけだった。

 その当時、東京都の条例で廃品回収業者らをこの場所から排除する計画が進んでいた。
 「蟻の街」の人たちは都と交渉を重ね、新しい埋め立て地への移転許可を得た。
 「蟻の街」の存続を祈り続けた怜子は、この知らせを聞いて3日目に天に召された。1958123日、28歳の若さで逝った。



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