シリーズ・「宗教」を読み解く 285
キリスト教と日本 64
ゼノ修道士と北原怜子との出会い

ナビゲーター:石丸 志信

 ゼノ修道士の影響を受けた人物に「蟻(あり)の街のマリア」と呼ばれた北原怜子(さとこ)がいる。
 ゼノ修道士は、「蟻の街」を支援する傍ら、浮浪者に食べ物を配り、雑誌『聖母の騎士』を持って布教活動にも努めていた。

 1950年のある日、ゼノ修道士は「蟻の街」に向かう途中、浅草の履物問屋に立ち寄り、店先で店員に話しかけていた。
 その店は、怜子の姉の嫁ぎ先で彼女もそこに身を寄せていた。店員が怜子の知り合いかもしれないと思い取り次いだ。

 様子を見に出てきた怜子の帯締めの間にはロザリオが挟んであった。それを見たゼノ修道士は、「あなた、信者ですか」と尋ねると、怜子は「そうです」と答える。

 ゼノ修道士は、聖母マリアの御絵(ごえ)を彼女に渡し、「かわいそうな人のため、お祈り頼みます。聖母マリア様、お恵みきっとあります」と言って早々に帰っていった。

 北原怜子は、その時がゼノ修道士との初対面だった。名前も知らないが、神父らしき老人の「お祈り頼みます」の一言が、妙に彼女の心を捉えた。

 後に「蟻の街」の人々を助けるゼノ修道士の新聞記事を目にしてようやくその正体が分かった。
 それ以来、怜子は「蟻の街」がどこにあるのか、そこに住む貧しい人々のために自分も何かしたいという思いに駆られるようになった。やがて、彼女も「蟻の街」に身を投じるようになる。

▲北原怜子(ウィキペディアより)

 1929年822日、大学教授の娘として生まれた怜子は、比較的恵まれた幼少期を過ごした。
 戦後、昭和女子薬学専門学校を卒業した怜子は、近所にある光塩女子学院初等科に通う幼い妹の送り迎えをしていた。

 この学校は、ベリス・メルセス宣教修道女会が経営するミッションスクールで、怜子はそこの修道女の姿に憧れを抱くようになり、1949年、20歳の時に洗礼・堅信を受けエリザベト・マリアの霊名を頂く。

 以後、キリスト者として愛の証しを立てるため、養護施設の慰問など奉仕活動に専心した。しかし、それに飽き足らず、修道女となって、生涯キリストに倣い人々のために愛を注ぎたいと思うようになった。

 いよいよ修道院に入る決意が固まった時、肺結核を発症、修道生活に入ることを断念せざるを得なくなった。
 そこに父親の病気も重なり、姉の嫁いだ浅草に一家で引っ越したのだった。そこで怜子はゼノ修道士と出会うことになる。



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