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脱会説得の宗教的背景 6
旧約聖書は“神の啓示”ではない?
現代キリスト教神学(聖書学)の限界性

教理研究院院長
太田 朝久

 YouTubeチャンネル「我々の視点」で公開中のシリーズ、「脱会説得の宗教的背景/世界平和を構築する『統一原理』~比較宗教の観点から~」のテキスト版を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。
 講師は、世界平和統一家庭連合教理研究院院長の太田朝久(ともひさ)氏です。動画版も併せてご活用ください。

神の啓示を現代によみがえらせる「統一原理」
 「統一原理」について、比較宗教の観点からお話ししていきます。
 最初のテーマは、現代キリスト教における「リベラル」か「福音派」かの問題についてです。

 まず、旧約聖書に関する「リベラル」か「福音派」かの問題をお話しします。
 旧約聖書はもともとユダヤ教の正典です。ユダヤ教は「旧約」とは呼ばず、「タナハ」(トーラー=律法、ネビイーム=預言者、ケスビーム=諸書)といいます。

 「旧約(旧〈ふる〉い契約)」とは、キリスト教が付けた呼び名で、ユダヤ教とキリスト教の間には旧約聖書を巡って“論争”があります。
 ユダヤ教では、律法を守り行うことで“義”とされ(申命記28章~30 etc.)、救われると考え、律法を生命視します。

 ところがキリスト教は“十字架”を中心に据え、聖書の全てを解釈します。
 神様が「律法」を与えたのは、それを守り行うことができないほどに堕落した人間であるという“罪の自覚”を生じさせ、十字架の救いに導くためだというのです。

 「律法によっては、罪の自覚が生じるのみ」(ローマ320)、「律法はキリストに連れて行く養育掛となった」(ガラテヤ324)という“十字架中心主義”です。キリスト教はそれくらい十字架にこだわりを持ちます。

 ところが、「統一原理」はその十字架が本来あるべきではなかった、十字架は神の二次的予定だと主張するため、キリスト教は家庭連合(旧統一教会)を亡きものにしようと攻撃してくるのです。

 キリスト教は、旧約聖書を“十字架中心主義”から解釈します。
 モーセの「青銅の蛇」(民数記219)と十字架を関連付け、預言者ヨナが大魚の中に3日間いたこと(ヨナ117)とイエス様の十字架後の墓中3日など、イエス様の十字架と関連付けて解釈します。

旧約聖書の“霊感説”の限界に至ったキリスト教
 現代キリスト教では、旧約聖書が“神の啓示”の書であることが、信じられなくなってきています。
 古屋安雄氏(国際基督教大学教授)は『激動するアメリカ教会―リベラルか福音派か』(ヨルダン社)で、キリスト教では「リベラル」と「福音派」の二極分化が進み、リベラルな教派の信仰衰退を指摘しています。

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 リベラルな教派では、信仰の基本である「神の存在を信じる」という設問に対して肯定的に答えたのが41%、「イエスは神の子であると信じる」の設問では50%にとどまっています。

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 信仰の衰退は一般信徒より牧師の方が顕著で、「神の存在を信じる」という設問に対して肯定的に答えたのが、信徒が78%であるのに、教会牧師は62%、本部職員牧師は60%。「イエスは神の子であると信じる」は、信徒が71%に対し、教会牧師は60%、本部職員牧師は54%と、牧師の方が信仰衰退が顕著なのです。

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 古屋安雄氏は、「教会本部にいる牧師たちは、神学的には非正統的な立場に立ち、信仰的にも、非伝統的な信仰理解をもっているのがかなりいるということである。この教職と信徒のギャップについては、信徒の方がおくれているとか、十分に教育されていないという奇妙な議論もある」(45ページ)と述べています。
 つまり、神学を勉強すればするほど信仰が衰退するということです。

 私は高校生の時、牧師から「最近、出版された聖書だ」と、新改訳聖書をプレゼントされ、「新改訳聖書」と「口語訳聖書」とを読み比べました。
 ネヘミヤ記7章が大きく異なっており、牧師に「誤訳ではないか」と質問しました。牧師は「底本が違うことで、食い違いがある」と説明しました。聖書の翻訳において原典(底本)となる資料(聖書)の違いから、両者に“食い違い”が生じるというのです。

 私は、神の啓示の書に“食い違い”があっていいのかと思い、その後、聖書批評学に触れる中で、神はなぜ聖書をこのようにされたのか、ずっと考えるようになりました。

 実は、私は「統一原理」と出合うことで、旧約聖書に対する“神の霊感説”(神の啓示に基づく)が現代によみがえっていると深く感動し、「統一原理」はキリスト教の信仰を復興させ、キリスト教をも救い得る教えであると確信したのです。

 「統一原理」が“聖書の霊感説”を現代によみがえらせているというテーマで、今から29年前『聖書と統一原理』(19944月発刊)を著しました。
 現代キリスト教は、旧約聖書が“神の啓示”の書であるという確信が揺らいでいます。創世記のエデンの園の物語は「神話」だと考え、それ以降は「伝説」だと考えているのです。

※動画版「脱会説得の宗教的背景 第3回『リベラル』と『福音派』との和合(旧約聖書学)」はこちらから