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続・夫婦愛を育む 8
◯◯の罪の償い

ナビゲーター:橘 幸世

 Blessed Lifeの人気エッセイスト、橘幸世さんによるエッセー「続・夫婦愛を育む」をお届けします

 『世界経典Ⅱ』では、テーマごとにもろもろの経典などから引用がなされています。
 普段は前書きの部分は飛ばしているのですが、「償還」の項は、その言葉の意味を確認するために読みました。
 そこには以下の一節がありました。

 「償還は、損害に正確に相応する値段でなくても、誤った人が損害を受けた人に自ら補償するときに、最も効果的である。ベルサイユ条約により第1次世界大戦が終わったのち、ドイツがフランスとイギリスに提供するよう強要された戦争賠償金と、第2次世界大戦後、ドイツがユダヤ人とその他のナチ犠牲者に提供した償還とを比較してみよ。ドイツに戦争賠償金が強要された前者の場合、その戦争賠償金は、ドイツ人の大きな怒りを引き起こし、ヒトラーの登場に直接連結する、復讐に対する要求に油を注ぐ結果となった。ナチの犯罪に対してドイツ人が本当に悔い改めた後者の場合、その償還は、ドイツと以前の怨讐国家の間に善の意志を広げるのに役立った」(1461ページ)

 償う側が償いの心をもってしなければ、する側受ける側双方のためにならないという、民族・国家レベルの事例です。

 ギプス生活で動きのままならない私は、15年前の入院時に読んだ『レ・ミゼラブル』を引っ張り出しました(出してもらいました)。
 人間心理の深層に食い込んだ内容に改めて感銘を受けています。

 主人公ジャン・ヴァルジャンが追手から逃れて身を隠した女子修道院。そこでは、物質面で見れば牢獄よりも過酷な環境下で、女性たち(貴族出身も珍しくない)が神に仕えていました。

 牢獄と修道院双方を、身を持って体験したジャンの目を通して、著者ユゴーはその対比を描いています(彼は修道院を全面的に肯定しているわけではありませんが、そこでささげられている真摯〈しんし〉な精神には敬意を抱いています)。

 牢獄の囚人は自ら犯した罪を償うためにそこにいますが、非人道的な扱いを受けることで、多くは恨みつらみを募らせます。
 一方修道女たちは、そこから出ることができない点では囚人と同じですが、自らの意志でそこにいて、日々苦行の生活を送り、感謝の歌を歌い、償いの祈りをささげます。

 何を償うのか。

 自分が犯したのではない、他者が犯した罪、地上で犯される全ての悪を償うべく、祈っているというのです。

 胸に来るものがありました。

 先祖が犯した罪を蕩減復帰する、というのは分かります。
 自分の父母や祖父母・親族を通して、ある程度の実感を持って推察できますので。

 けれど、自分の知らない時代に国家が犯した罪を責められると、正直私の中には、素直に受け止めきれないものがありました。

 修道女たちは、イエス様がそうされたように、自分が犯したのではない、親族でもない、見も知らぬ他人が犯した罪を償おうとしていたのです。

 2000年間キリスト教が積み重ねてきたものの一端に触れ、自分の器の小ささ、主と仰ぐかたへの信仰の不足さを知らされました。
 そのかたもまた、他者の罪、人類の罪を自ら償おうとしてこられたのに

 天一国時代、社会に関わって建設的な努力・活動をしようという中にあっても、(償い方の是非は横に置いて)新約時代の尊い精神は、学び継承していかなければと思いました。