コラム・週刊Blessed Life 27
人間の堕落が分からなかったフロイト

新海 一朗(コラムニスト)

 ジークムント・フロイト(18561939)の理論は、「20世紀最大の発見」というような言われ方をします。それは人々が歴史的に忌避してきたテーマに一つの理論的見解をもって切り込んだからです。フロイトは、タブー視されてきた「性」あるいは「性欲」をテーマに掲げたのです。

 フロイトによれば、人間は「無意識(エス)」と「超自我(スーパーエゴ)」と「自我(エゴ)」の三つから成り立っているとしています。
 無意識は、ひたすら欲望を満足させて快楽を得ようとするものであり、主に、それは性欲(性衝動、リビドー)であると言います。

 一方、超自我は、両親や先生などの権威による教育から形成されるもの(いわゆる宗教、倫理、道徳、あるいはそれらによって築き上げられてきた制度、特に家族制度)で、無意識の中の隠された欲望を押さえ付け、抑圧する役割を果たしていると考えます。

 無意識の「~したい」に対して、超自我は「~してはいけない」と命じますから、ここに葛藤が生じます。そこで、自我(エゴ)は、両者の要求を調整して現実的行動をとらせようとするのだと説明します。ピラミッドで言えば、低層に無意識、真ん中に自我、上層に超自我があるという構造です。

 フロイトの弟子たち、とりわけ、ライヒは宗教、倫理、道徳によって抑圧されてきた性の欲望(リビドー)は解放されなければならないという考えに立ち、性解放運動の主導的人物になりました。当然、宗教、倫理、道徳、家族制度に対しては敵対的態度になります。

 こうしてみると、現代のフリーセックスの風潮をつくり上げる役割を担った人物の一人にフロイトがいると言うことができます。フロイトの理論は超克される必要があります。

 性解放、フリーセックスは人間の愛を理想的な状態に押し上げるという物差しを捨てていますから、必ず、動物化する愛、淪落の愛を蔓延させる結果となります。
 「真の愛」という尺度を無視しているので、愛がどこへ向かって行っていいのか分かりません。結局、フロイトは、愛によって人間は堕落したという旧約聖書の内容が分からなかったので、抑圧された性欲を解放してあげた方が神経症や鬱(うつ)などにならなくて済むというようなことしか言えなくなったのです。

 本然の真の愛に抑圧などありません。堕落した愛なので否定(抑圧)の論理が働かざるを得なかったのです。