コラム・週刊Blessed Life 26
孝情で生きる人生に最高の祝福がある

新海 一朗(コラムニスト)

 中世の修道士が深い瞑想(めいそう)の中でつづった言葉に、「あなたの心に、天の恵みとまことの愛徳とが入るなら、妬みや狭量や自愛心の余地はない。実に、神への愛は、全てに勝ち、人の心を大きくさせるものである」(『キリストに倣いて』より)とあります。
 神への愛は全てに打ち勝つというのですから、偉大なものです。そして、人の心を大きくさせるものこそが神への愛だというのですから、神への愛は非常に大切なものだと結論付けられています。

 中世の修道士が語ったこのキリスト教的な愛徳の精神は、神への愛が第一義的に大切であると強調したイエスの精神と同じであり、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイによる福音書 第2237節)というイエスの訓戒に一致します。

 神への愛が、最も大切なものであるというイエスの教えを、人から神への上向愛の強調であるとすれば、そのような人間の責務はなぜ合理的に成立するのかというと、神から人への下降愛、すなわち、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神はあなたを愛しておられます」という下降愛(慈愛、父母の愛)がまず初めに神の方から人間に対して注がれているからであり、その神の愛への応答として、神を愛する当然の責務が人間において発生するという理屈になるのです。

 言い換えれば、父母である神は子女である人間を父母の愛で包み育んでいらっしゃるという先行的事実が絶対的なものとしてあるからこそ、父母なる神に対して子女なる人間は子女の愛を神に対してささげる道理が生まれるのだというわけです。

 子女から父母への愛は、すなわち、孝行の愛であり、「孝情」と表現されるものです。結局、イエスが最も大切な戒めであると指摘した神への愛は、孝情であったということになります。孝情で生きる人生に最高の祝福があるのは間違いありません。