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心情開拓
心霊を育てる生活原則(98)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

【イエスを中心とする路程】
男女問題の解決方法

 それで、この教会で男女問題がちょっと危ないのです。この使命を果たしていく路程で、男女問題が起きやすいのです。夫婦の使命をしなければいけないからです。

 男性の場合には、恋愛してくる女性があった場合には、それをみな相手をしなくてはなりません。相手をしてあげてから、その人の価値観を高くする教育をしなくてはなりません。

 女性の場合は、女性を中心として天使長側の男性がそうなってきた場合には、それをそのままにして、内的に再創造するのです。

 再創造される方向性をもって来るのですから、初めからきれいな愛情をもっては来ません。天使長側から来る人たちですから。初めから基台はできないでしょう。だからそれを当然と思って、エバのほうでは、男性の純粋な愛の価値観、愛の中心を立ててあげるのが、私たちの使命です。

 その辺を体験していないから、いつも自分が尊敬している一人と絶対に一つになれないのです。エバは全然経験がない、そこに天使長が現れた、こうなった時に、すぐ三つを結びさえすれば、経験のない道でも、自分が天の味方の人と一体になれば、全然知らない道でも、絶対失敗しないのです。だから皆さんも、これから歩く時に、まずだれと一体となって、あらゆる愛を引き受けるか、です。私との愛を相手にしないで、その愛をどういうふうに処理するかという処理方法を、まず考えなくてはなりません。

 男性は信じられません。男性は天使長だからです。いつも、秘密のことをやるのです。父母に対しても秘密のことをやるし、それから指導者に対しても秘密をもって自分の思いのままにやってしまうし、男性は一番問題! 天使長は、堕落論の講義から分かるように、絶対堕落しないようになっています。再臨主さえ来れば、絶対堕落しません。あなたたちの秘密を、自分のためにいる人に報告すれば、絶対自分勝手な行動を、したくならないのです。

 勝手な行動をしたくなるというのは、自分の主体者に秘密を打ち明けないで、自分にとどまって成長してしまったからです。分かりますか? 自分にとどまって成長すると、それは罪を犯さなければならないのです。なぜかというと、その力を自分は主管することができないからです。主管できないから、主管できる人に、みな報告してしまうのです。信仰の親なら親に、なんでも報告するのです。

 だから、女性に手紙が来れば、それを自分が見ないで、必ずアベルの人に読んでもらうのです。そしてアベルから聞くのです。こうすれば、二人の関係が深くならないのです。だからその人に会った時には、「あなたは私をそんなに愛するけれども、私はあなたが私を愛するより、私はあなたを愛する!」と。

 三人で愛するのです、三人で! だから「あなたが私を愛するのは、結局この人を愛する目的で愛するのだ」と、信仰の親を、信仰の母を紹介するのです。あるいは娘の場合、ある男性がとても恋しがっていると聞いたら、「あなたが私にそんなにも愛をもつのは、私の父母が立派だからで、その父母にそういうあなたの考えを、その愛情を報告しなさい」と、それを必ず励行させます。秘密がないようにします。それで、その人間に対して、みな言いたいことを言うのです。もし、言えないのならば、それはなぜかと聞き、教育するのです。

 初めは秘密に、そのアベルに、自分がそういう手紙をもらったことを報告していきます。ある期間が過ぎると、直接来て、その人に報告するようになります。そうしたら、絶対にその二人は堕落しないのです。絶対にしません。やってみなさい、私の言う、この原則というものが合っているかどうか。

 エバがアダムに聞いた場合、アダムが神様に聞いた場合、天使長の力によって、堕落するかしないかを考えてみるのです。なぜかというと、神から来る愛が、もっともっと強いからです。だから、私たちの存在は、だれを中心とした自分かという問題です。そこが一番重重です。

 こういう立場であったのですが、結局ユダヤの指導者が不信しました。それで弟子も不信し、実体基台が失敗しました。それで第三です。第一は、洗礼ヨハネが不信した、第二はユダヤの祭司長とイスカリオテのユダが不信した、それで第三次は、霊的路程なのです。

 イエス様が十字架につけられたと同時に、40日間断食をしてつくった信仰基台は、サタン主管圏内に入って崩れました。それで復活したあとに、40日間、イエス様自身としての信仰基台をつくって、そののちに弟子たちを訪ねながら実体基台をつくりました。信仰基台と実体基台を一緒に立てるという40日間だったのです。

 復活期間に弟子たちを訪ねていって、もう一遍そのペテロに会って名前を呼ぶ時に、「ペテロよ」と呼ばずに、「ヨハネの子、シモンよ」と呼んだのです。「ペテロ、ペテロ」と呼んだイエス様が、復活したあと、「ヨハネの子シモンよ、主を愛するか」と3回質問を繰り返しました。ペテロは2回目までは、「そうです、私は愛しています」と答えたけれど、3回目は心配して、「主が知っています。主が自分の内容を知っています」と、こう答えたのです。

 今までは自分の立場で神を信仰しようとしたその内容が、今になってみると、自分が自分じゃない、神を通じての自分だという立場を探さなければならないので、それを探しました。神を通じての自分、そうなれば自分が自分じゃないという話になるのです。その答えの次には、将来ペテロ、お前自身が自由でない、神に主管される身になる、と。ひもも自分で縛ることができなくなって、一切自分の体が自分のものではない、ということを教えています。それで、このように信仰者を、もう一度教育し直したのです。

 ここで信仰者の中心点を、復活したイエス様は教えています。自分が自分でないということです。神を通じた自分、神に主管される自分、これを探さなければいけません。これを復活しなくてはいけないのです。イエス様は十字架につけられたけれども、神の立場でつけられました。復活したのも、神が復活させたのです。イエス様は一生涯、完全に神に占領されて生きたのです。ペテロもその中心を立てて、神に完全に主管されて、最後に十字架につけてもらうまで、神に従うようになりました。

 こういう面をはっきりさせて、弟子をもう一遍呼んで、実体基台を立てて、結局昇天しました。霊的な国、霊的な世界、土地のない国。第二イスラエル民族は、全世界的に霊的な民族になっているのです。

 モーセ路程が三次路程になったのと同じく、イエス様も第一次を失敗し、第二次は地上で失敗して、第三次目に、復活を中心として実体基台を成功しました。

 これに対して、何か質問ありませんか。

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 次回は、「牧会とは何ですか?」をお届けします。


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