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進化論から新創造論へ 19

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「進化論から新創造論へ」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 人間の祖先は本当にサルなのか? 統一思想からの提案は、科学的真理のように装ってきた進化論の終焉(しゅうえん)を告げる!

統一思想研究院 李相軒・編著

(光言社・刊『ダーウィニズムの誤りと統一思想からの提案 進化論から新創造論へ』より)

統一思想による新しい創造論

(2)ロゴスによる創造
-DNA遺伝暗号は神のロゴスである-

 生物はそれぞれ一定のデザインに従ってつくられていますが、進化論者たちは自然選択がデザインをつくり出したと主張しています。ダーウィンは次のように述べました。「自然選択は、日ごとにまた時間ごとに、世界中で、どんな軽微なものであろうとあらゆる変異を、詳しく調べる。悪いものは抜き去り、すべての良いものを保存し集積する。……[生物を]改良する仕事を、無言で目立たずに続ける(*37)」。ドブジャンスキーは自然選択を作曲家に、シンプソンは詩人に、メイヤーは彫刻家に、ハクスリーはシェークスピアにたとえました。そしてグールドは「ダーウィニズムの真髄は、自然淘汰が適者を創造するという主張にある(*38)」と述べ、自然選択が造り主に変わったといっています。

 1802年に英国国教会の大執事ペーリーは、生物が彼らにふり当てられた役割に精妙に適応していることを例を挙げて証明し、それによって神の栄光を賛えようとした。……近代の進化論者も同じシナリオ、同じ役者を引き合いに出す。だが造り主だけは変わってしまった。今や我々は、同じような驚きと称賛の念を持って、自然淘汰がこの精妙なデザインの造り主であることを知らされる(*39)。

 ダーウィニズムの本質は、まさに創造主である神を否定し、自然選択をその位置におくことにあったのです。これはマルクスが神を否定し、人間は物質的な生産関係によって規定されると主張したことと全く同じでした。両者ともに、神ではなくて物質的な環境が人問をつくったというのがその結論だったのです。

 このような進化論の主張に対して統一思想は、神が生物のデザインをされたと主張します。神のデザインとはロゴスのことです。神は細胞の中にロゴスを宿し、細胞がロゴスに従って成長していくようにされたのです。細胞に宿ったロゴスとは、DNAの遺伝暗号です(図16参照)。

 では自然選択が生物のデザインをしたという解釈と、自然の背後に芸術家、あるいは科学者のような存在(すなわち神)がいてデザインをしたという解釈は、どちらがより合理的で自然な考え方でしょうか。

 自然選択とは、本来、多くの変異のうちでどれが生存に適しているかを判定する作用だったはずです。したがって、自然選択は改良されたデザインを“選択する”ことはできます。しかし、それはデザインを“改良し”、“つくる”ということとは全く別のことです。ところが進化論者は、単に選択するだけの作用である自然選択に、デザインを改良し、創造する作用まで与えているのです。

 クジャクの見事な羽は、進化論者によれば「魅力的なオスをメスが選んだことがクジャクを現存の最も素晴らしい鳥にした」ということになります。しかしクジャクは芸術家ではないし、メスがオスの見事な羽ができるまで選び続けるというようなことはありえないことです。クジャクのメスにできるのは、でき上がったオスの見事な羽に引きつけられるということだけです。

 このように、自然選択説には論理の飛躍やすり替えがあります。したがって神がデザインされたと見る方が合理的で自然な解釈であるといわざるをえません。生物学に関するエッセイを書いた作家の小松左京も、チョウの豊かな色彩パターンを見て、神の創造に思いをはせざるをえないと率直に述べています。

 何万種といる鱗翅目(りんしもく)の、およそケンラン豪華複雑多様な色彩パターン……その色彩、模様のバリエーションの途方のなさは、人間の想像力も創造力も越えている感じである。つい再び「造物主の偉大さ」や「神の摂理」にあともどりしたい気になるのは私だけだろうか?(*40


*37 ダーウィン『種の起源』上巻、112頁。
*38 グールド『ダーウィン以来』上巻、59頁。
*39 同書、145頁。
*40 小松左京『はみだし生物学』新潮社、1982年、79頁。

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 次回は、「段階的創造」をお届けします。


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