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進化論から新創造論へ 18

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「進化論から新創造論へ」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 人間の祖先は本当にサルなのか? 統一思想からの提案は、科学的真理のように装ってきた進化論の終焉(しゅうえん)を告げる!

統一思想研究院 李相軒・編著

(光言社・刊『ダーウィニズムの誤りと統一思想からの提案 進化論から新創造論へ』より)

統一思想による新しい創造論

(1)創造目的と二重目的体
-生物は生存に適していると同時に
人間のために存在している-

 ダーウィンは自然選択説を主張しましたが、生物は果たして生存に適しているという原理だけで存在しているのでしょうか。もしそうならば、繁殖力の強い雑草のみが生い茂り、昆虫のみが飛び交うような自然になったでしょう。しかし、実際はそうではありません。美しい花が咲き、甘い果実が実り、小鳥はかわいらしくさえずっています。このような事実をどのように説明すればよいのでしょうか。

 神が人間と万物を創造されたのは、愛して喜ぶためでした。被造物のほうから見れば、人間の存在目的は神を喜ばせるためであり、万物の存在目的は人間を喜ばせるためということになります。万物の存在目的は、個体目的と全体目的を遂行することによって達成されます。個体目的とは、自己の生存、繁殖、維持を図ることであり、全体目的とは、より高次な存在のために存在することです。つまり、より高級な生物、とりわけ人間のために存在するというのが、万物の全体目的です。したがって、すべての生物は個体目的と全体目的の二重目的体として存在しています(図15参照)。

 例えばクジャクのオスの見事な尾羽について考えてみましょう。進化論者によれば、これはオスのメスに対する求愛行動のためにあると主張しています。しかし統一思想から見れば、求愛行動のためにだけ美しい尾羽があるのではありません。求愛行動はクジャクの個体目的なのです。より本質的には、美しい尾羽は人間を喜ばせるという目的(全体目的)のためにあるのです。

 リンゴやミカンは甘酸っぱい果肉を大量につけています。西瓜は暑い夏の盛りに甘い水分を大量に貯えています。熱帯のヤシの実も栄養のある水分を大量に貯えています。これは何のためでしょうか。進化論者は、これらの果実は動物や人間に好んで食べられることによって、種がまき散らされ、繁殖するのに適していたというでしょう。確かにそういう一面はあります。しかし、植物の繁殖のためならば、種だけできて、種が風で吹き飛ばされてもよかったはずです。これらの果実が存在するのは、本質的には人間のためなのです。

 色とりどりの美しい花、小鳥のかわいらしい鳴き声、チョウの羽の美しい模様などもみなそれぞれ生存、繁殖に有利な面があるでしょうが、本質的には人間を喜ばせるためにあるのです。

 ネオダーウィニズムは生物を生存への適性という面から見て論じていますが、それは個体目的だけの観点にすぎません。また新ラマルク主義も、種がいかに環境に適応するかということに焦点を合わせているので、やはり個体目的だけの観点なのです。

 統一思想の新創造論は進化論の主張する適者生存を否定するものではありません。しかしそれは生物の存在の一面にすぎません。生物が、生存に適しているというだけではなく、本質的には、人間のために存在していることを理解するとき、私たちは初めて正しい自然観を持つことができるのです。

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 次回は、「ロゴスによる創造」をお届けします。


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