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心情開拓
心霊を育てる生活原則(85)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

【モーセ路程】
伝道師の使命

 伝道というものは、相手の信仰の仕方を整理してあげなければいけません。「あなたはこういう信仰をしているのですか」。「それではこの信仰面をどう思っているのですか」。「信仰者がどう祈ったら神との授受ができるのですか」。こういう面を聞いてみると、「それは絶対できない。祈っても私たちは……」と。「イエス様は神と授受して、一問一答したのですが、私たちはできますか、できないのですか」。「じゃ、できなくてはならないではないですか」。「聖書のあちこちにあるではないですか」。「これはどうしますか」。

 こうしてその人の今まで主張している面、信仰していない面、そういうのを聞いてみながら、信仰を整理してあげてこそ、その人が次に私たちに何か聞きたいという姿勢になるのです。そして、自分のことを少し出してみなくてはならないのです。

 それで1200名を派遣するのは何のためでしょうか。「行って既成教会の人をつかまえて泣きながら訴えよ」というのです。その人を取り扱うのが難しいから、泣く、今だったら天のほうから夜に、幹部たちに何か見せるはずです。そういう方法しかありません。人間がいないのだから、行って泣く以外に方法がないのです。泣いたら天のほうが協助してくれます。言葉もできないのだから。

 だからモーセも、「私は言葉ができない、エジプトに対して何やかや話すこともできない」と言ったのです。「それでは行って、これでもって奇跡をやれ、私がやるから、あなたは行きさえすればいい」と、モーセはただ行くだけなのです。「天がやるから、あなたは行け」と。だから私たち伝道師にも「行け」と言われるのです。「行けば私がやる」と。

 大先生は言われます。「行けばやる。知識をもってやるのではない、だから行け、喜んで行け。人材がないから仕方がない。あなたを行かせる天はどれほど急いでいるか、これほど何も知らない者を遣わす天の立場はどれほどつらいか、どれほど忙しいかということを見た時に、喜んで行ってくれ」。夜は家に寝ずに、既成教会で夜通ししてでも、そこで祈って伝道する。私たちには、このように開拓してきた経験があるから、相当敵愾心(てきがいしん)があるのです。

 敵愾心を増やすには、統一教会に一番反対している人の家に行けば、相当恵まれます。賛成している人の家に行っても、何もありません。反対する人ばかり拾っていけば、利益があります。私が言うとおりやってごらんなさい。いつも反対する人の家に行くのです。いつもいじめられて、その場で、ああ神はこういう人に無視されてきた、今まで開拓者は、こういうふうに蔑視されてきたという歴史的感情を、その場面で感じます。その人が言うのではなく、歴史的な代表者になっているのです。だから一番私たちを憎んでいる人の家を探して行けば、相当な敵愾心ができます。敵愾心をもっていない人は、よほど行かなくてはなりません。

 だから大先生は、「あなたたち信仰が低くなる時は既成教会の牧師のところへ行け」と言われるのです。牧師のところへ行って、聖書を露骨に話すと、無視されるか圧迫されるので、相当燃えてきます。「こんな人間がいるか、よーし」と。迫害されない時は、統一教会を代表する心がないのです。一回打たれてみると、「よーし、こんなに敵がいるのか」と、決意が出ます。

 私たちには敵愾心が生命です。イスラエル民族にも敵愾心があったなら、絶対不平を言わなかったでしょう。ここで飢えて死んでも、絶対エジプトを顧みなかったはずだということを、私たちは、体験しないでも知りそうなものです。

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 次回は、「日本の統一教会」をお届けします。


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