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【B-Life『世界家庭』コーナー】
砂漠と炎熱のイスラムの国から
北アフリカ・スーダン日誌③
「ブクラ(明日)」って、いつのこと?

 2015年から2016年まで『トゥデイズ・ワールド ジャパン』と『世界家庭』に掲載された懐かしのエッセー「砂漠と炎熱のイスラムの国から 北アフリカ・スーダン日誌」を、特別にBlessed Lifeでお届けします!

 筆者の山田三穂さんは、6000双のスーダン・日本家庭です。

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▲スーダン人の男性。頭にターバンをかぶり、ジャラビアという伝統的な白い服を着る

 アラブ世界でよく耳にする言葉に「ブクラ」「インシャアッラー」「マレーシ」があります。これは日本人や欧米人が葛藤し、理解に苦しむ言葉なのです。私もずいぶん、困惑させられました。

 「ブクラ」の日本語訳は「明日」ですが、実は怪しい明日なのです。

 あるスーダン人に頼まれて仕事をしたとき、給料はいつもらえるのかを尋ねると、「ブクラ」と返事が来ました。

 てっきり、翌日と思って行ってみると、「きょうはできないから、ブクラ」。その翌日行くと、また「ブクラ」。私が「あなたはブクラ(明日)と言ったじゃないの!」とカッとして言うと、彼らは私がなぜそんなに怒るのか理解できないようでした。

 親しいスーダン人の婦人に「ブクラは本当に、tomorrowなの?」と聞いたら、「someday(いつか)」と笑顔で答えるのです。ここでは、明日とは、近日中1週間ぐらいのことらしいのです。

 その後、アラブ世界について本で調べてみました。すると、「ブクラの語源は、永遠に続く未来の中のある1日」と書いてあり、がく然としました。語源から考えれば、1週間どころか、1か月後も、1年後も、そして100年後もブクラになるのです。

 日本大使館の職員やボランティアで訪れる人たちも、この「ブクラ」という言葉に半ばあきれ顔です。

 「インシャアッラー」は「全ては神のみ意(こころ)」という意味があり、「マレーシ」は直訳すると「すみません」になるのですが、実際の意味はいずれも、「こういう悪いこと(自分の失敗)が起こったのも神のみ意。まあ、仕方がないさ」となるのです。

 日本大使館のある職員が、自分の暮らすアパートの排水口が壊れたので、スーダン人の修理屋を呼んだそうです。この修理屋は直すどころか流し台に大きな穴を開けてしまい、「マレーシ」と言って何もなかったように帰ってしまったというのです。結局、手間賃を払ったうえ、流し台を買い換えるはめになったのです。

 この三つの言葉の根底に流れるのが、神の絶対予定説です。自分のやったことは棚に上げて、全てのことを神のみ意と捉えるので、私は神に責任転嫁しているように感じました。

 あるとき、「原理」の「人間の5パーセントの責任分担」を念頭に置きながら、今後のスーダンの未来を担う知識層の大学生に、こんな話をしました。

 「病気にかかったとき、医者の処方する薬を飲まなければ治りませんね。でも、薬を飲むか飲まないかは、あなたの選択に任されているでしょう?」

 彼は「そうですね」と答えるのですが、神の100パーセントの責任分担は変わらないのです。「では、あなたの責任はどうなるの?」と言っても、彼の心には響きませんでした。

 それは、もし死んだとしても、教えを守って生活していたなら天国に必ず行くと信じているからなのです。

 このように日本人として常識と思うことが全く通じず、経済的にも困窮する日々の中で感謝できない思いが湧いていた19911130日、スーダンで暮らして丸5年のときでした。

 突然、ラジオ放送から「文鮮明氏が北朝鮮を訪問した」というニュースが流れたのです。聞いた瞬間、私の心に一条の光が射し込んできました。

 真の父母様の勝利圏によって共産世界の壁が崩れたように、必ずアラブ世界の壁も崩れる日が来るのだと思えました。

 そして「この世界で生きていこう! 私のいるべき所はここなんだ」と心情転換できたのです。

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(この記事は、『世界家庭2015年11月号に掲載されたものです)