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【B-Life『世界家庭』コーナー】
砂漠と炎熱のイスラムの国から
北アフリカ・スーダン日誌②
断食でも夜に3度の食事!?
乾燥した気候の中の過酷なラマダン

 2015年から2016年まで『トゥデイズ・ワールド ジャパン』と『世界家庭』に掲載された懐かしのエッセー「砂漠と炎熱のイスラムの国から 北アフリカ・スーダン日誌」を、特別にBlessed Lifeでお届けします!

 筆者の山田三穂さんは、6000双のスーダン・日本家庭です。

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 スーダンの人口は約3800万人といわれます。そのうち、80パーセント以上をムスリム(イスラム教徒)が占め、国教ともなっています。

 首都ハルツームや、私の暮らすアルハァイヤなどを歩けば、至る所にモスク(イスラム教寺院)が建ち並びます。

 各モスクから一日5回、礼拝の時を知らせるアザーン(呼びかけ)が「アッラーフ・アクバレ、ハイヤー・アラッサラー(アッラー神は偉大、いざ礼拝へ来たれり)」などとスピーカーから高々と流れます。

 彼らは、手と足と顔と頭を水で清め、口をすすいで礼拝に臨みます。それをしなければ正しい祈りとは認められないのです。

 もし砂漠で祈りの時を迎えた場合は、砂で同じように清めるのです。その後、男性はモスクで礼拝をささげたり、ゴザを敷き、その場で祈りをささげたりします。

 中には、アザーンの響きに魅了されて入信した人もいるそうです。

 私はアザーンを聞くたびに、チャールトン・ヘストン主演の映画「十戒」を思い出します。モーセが砂漠の中で神から啓示を受けるシーンが目に浮かび、律法を重んじる旧約時代にタイムスリップした気分になるのです。

 スーダンに来たての頃、ある大学で日本語の教師をしたことがありました。実は、私は授業中に礼拝の時間が来ても、生徒は席を外すことはないだろうと思っていたのです。

 ところが彼らは時間になるとバタバタと教室から出て行き、校内にあるモスクで祈りをささげてから戻って来るのです。小学校から大学まで、コーラン(イスラームの聖典)を学ぶことが義務づけられていますから、アッラー神への信仰が確立されていくのも当然なことといえます。

▲オマル・アル・バシール元大統領が建てたモスク。金曜日午後2時頃からの一般礼拝参加後のムスリムたち(ハルツーム)

 イスラームを語る上で欠かせないのが、ラマダン(イスラム暦第9月)です。

 イスラム暦は太陰暦で、今年(注、2015年)のラマダンは新月の6月18日から新月の7月16日に当たりました。

 この期間、世界中のムスリムが一斉に1か月の断食に入るのですから、すごいことです。(注、断食は老人と15歳以下の子供、病人、妊婦、そして海外に旅行に出ているムスリムは免除されています)

 ただ、飲食をしないのは日の出から日没前までで、夜の間に3度の食事(日没後、午前零時、日の出前)を摂ります。断食中は水も飲めません。厳格に守る人は唾すらも飲み込まずに吐き出してしまいます。

 半日とはいえ、中東の乾燥した気候の中での1か月におよぶ断食は、かなり過酷です。それでも人々は、神にささげる信仰の供え物として守り通すのです。

 その一方で、ラマダンを理由にレストランなどは夕方まで閉店。買い物に行っても店主は休んだまま無視したり、不機嫌だったりします。

 また家の前に椅子を置き、そこに座ったまま一日中身動き一つしない男性の姿もよく見かけ、こちらのほうが心配になるほどです。

 ところが、日没を迎える頃になるとお祭りのようなごちそうが準備され、モスクからの断食明けを知らせるアザーンを合図に一斉に食べ始めるのです。これが1か月続きます。

 この時期、午後4時頃から断食明けの食事を摂るために家路を急ぐ車やバスがものすごいスピードを出して走るため、街中で交通事故が多発します。私もその時間にバスに乗ったときには、恐ろしくて祈らずにはいられません。

 ラマダンのときは、家の前にゴザを敷き、断食明けの食事をするのですが、家の前を通る人がいれば、たとえ見知らぬ人であっても「さあ、食べていきなさい」と声を掛け、膳を共にします。

 モスクの前でも食事が準備され、道行く人々にふるまわれます。互いに助け合い、貧しい人に施しをする慈善は、ムスリムにとって大切な行いの一つとなっているのです。

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(この記事は、『トゥデイズ・ワールド ジャパン』2015年9月号に掲載されたものです)