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【B-Life『世界家庭』コーナー】
砂漠と炎熱のイスラムの国から
北アフリカ・スーダン日誌①
勤勉は美徳ではない!?
気温50度の中で生きる知恵

 2015年から2016年まで『トゥデイズ・ワールド ジャパン』と『世界家庭』に掲載された懐かしのエッセー「砂漠と炎熱のイスラムの国から 北アフリカ・スーダン日誌」を、特別にBlessed Lifeでお届けします!

 筆者の山田三穂さんは、6000双のスーダン・日本家庭です。

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 私が、北アフリカのスーダンにお嫁に来たのは、198711月のことです。スーダン国際空港に飛行機が着陸した瞬間、霊的な牢獄に入ったような気持ちになりました。

 当時、日本の世界宣教部の部長(1800双)から「イスラム圏に住む姉妹たちは、穴蔵で100年過ごすと思ったらいいよ」と言って送り出されたのを思い出していました。それから丸27年になります。

 スーダン人から、なぜ日本に帰らないのかと言われることがありますが、どんな事態に直面しようとも、このスーダンから離れようと思ったことはありません。その原点は、1982年にさかのぼります。

 1013日の6000双の聖酒式が行われる直前に、まだマッチングが決まっていない日本の姉妹たちを真のお父様が呼び集められて、「この中からアフリカの兄弟と祝福を受けたいと思う者は、手を挙げなさい」と語られました。それで私は手を挙げたのです。

 そしてスーダン人の主体者とマッチングされました。ですから、ここで暮らすのは「自ら選んだ道であり、自分の責任」と思っているのです。

▲砂漠の中の村で。後列右が筆者の夫のアルファテ・オマールさん、左が大場良一さん。手前はジャラビアという伝統的な男性の服装のスーダン人(1980年、スーダン・モエレ村)

 スーダンでは、ウガンダから流れる白ナイル川とエチオピアから流れる青ナイル川が首都ハルツームで合流し、ナイル川となってエジプトに向かって流れています。

 その二つの川が交差した場所が三角地帯となっていて肥沃な地を生み出しました。正に、ナイル川の恵みによって三角地帯ではさとうきび、小麦、豆類などの作物が採れます。貧しい中でも食べ物には困りません。

 その一方で、暑さは半端ではありません。かつて、1975年から世界宣教の摂理が始まり、スーダンに入国したのは大場良一先生(1800双)でした。大場先生はこの暑さを炎熱地獄と表現したのです。

 気温の年間平均は摂氏30度から40度ですが、4月から6月頃は50度になります。そんなときの砂漠の地表は70度を超えるといわれます。

 日本なら真夏でも、走っている車の窓を開ければ、涼しい風が入ってくるでしょう。ところがスーダンで同じことをすれば、車窓から肌がジリジリと焼けるような熱風が入ってくるのです。

 ですから、ここにある全ての物がそのうち黒い煙を出して燃えだすのではないかという気になります。私の体も暑さに慣れるまで汗疹(あせも)ができてかゆくてしかたありませんでした。それも数年続くと皮膚も強くなったのか、汗疹ができなくなりました。

 また、私はスーダンに来るまで「勤勉は美徳」と思って生きてきました。どんなに暑くとも一生懸命に働く姿、ハエがいればいなくなるまでハエを追いかけるなど、そんな姿をスーダン人に見せることで、何か神の願いを伝えられるのではないかとさえ考えました。

 ところが、隣に住む夫の姉や妹たちから、「何をしているの? 日本人はクレージー」「暑いのにそんなに動いてどうするの?」と言われてしまったのです。

 スーダン人の一日は、ほとんどが朝4時半の起床で始まります。各地のモスク(イスラム寺院)から祈りの時を知らせるアザーンが流れます。

 アッラーの神に祈祷をささげてから、午前7時半には学校や仕事が始まり午後2時には終了です。そして午後4時までに帰宅します。それ以上は働かず、おしゃべりをするか木陰で寝ているかです。熱くて働けないのです。もし働き続けていれば熱射病で倒れてしまうのです。

 働きすぎないのも、砂漠と暑さの中で暮らすスーダン人の知恵だったのです。ここでは、勤勉は美徳ではないと悟ったのでした。

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(この記事は、『トゥデイズ・ワールド ジャパン』2015年8月号に掲載されたものです)