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シリーズ・「宗教」を読み解く 246
キリスト教と日本㉕
キリシタンの信仰の命脈をつないだ「バスチャン様の予言」

ナビゲーター:石丸 志信

 江戸時代の村落共同体が深い絆で結ばれている時代、幕府が「邪教」として禁止したキリシタンの弾圧を徹底するために、その共同体は有効に機能してきた。

 同時に、それはキリシタンが密かに信仰を守ろうとして結成した潜伏組織が存続するための器ともなった。
 全国各地に広がっていたキリシタンは、それぞれに潜伏組織を形成し、伝統を継承しようとしたことだろう。

 しかしながら、信仰共同体間の連絡も途絶え、社会の変動により村落共同体の在り方が流動的になると潜伏組織を維持することは困難になる。
 およそ250年にわたる時の流れの中で、潜伏キリシタンの多くは当初の伝統を保持することができず、その多くがいつしか消えていったことだろう。

 しかし、長崎地方には幾多の風雪を耐えながら信仰を守り抜いてきたキリシタンのひと群れがいた。
 17世紀の半ば、「バスチャン」と呼ばれる日本人伝道師が布教活動を続けていた。司祭、宣教師らがことごとく追放され、殉教していく中で信徒らを励まし続けてきたのだ。

 3世紀のローマの殉教者セバスチャンを洗礼名に持つこの人物。佐賀藩深堀領の出身で、その地にある菩提寺の門番をしていたといわれている。その寺は、おそらくキリシタンの集う教会だったであろう。
 バスチャンは当初、外国人神父ジワンと共に活動したが、ジワンが国外追放になる前にキリシタンの暦である「日繰(ひぐ)り」を託された。

 その後、一人で布教活動を続けたが、キリシタンに対する一斉検挙が行われたため、黒崎の山中に身を隠していたところを密告により捕縛された。
 長崎桜町の牢獄に33カ月間拘留され、78回に及ぶ苛酷な拷問を受けた末に斬刑に処せられたという。

 彼の遺した「日繰り」は、潜伏キリシタンの信仰生活を守るのに重要な役割を果たした。加えて、彼が殉教前に残した予言は、長き潜伏時代を生き延びる彼らの希望の灯火(ともしび)となった。

 バスチャン様の予言は4項目あったが、要約すると、「7代後に再びローマから黒船に乗って司祭が来る。その時自由にキリスト教の祈りを唱えることができる時が来る」という内容だった。
 キリシタンたちは「バスチャン様の予言」を信じ、子や孫に伝えながら耐え忍んできたのだった。



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