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心情開拓
心霊を育てる生活原則(75)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

【モーセ路程】
外的環境と内的心情

 モーセはそれ以上、民族を基台とすることができなくなり、ヤコブのように、ミデヤン荒野に行きました。そして祭司長のところへ行って、牧者になったのです。宮中にいたモーセが、急に僕(しもべ)に落ちたのです。普通の人なら耐えきれません。私たちもある程度低くなるのは耐えられますが、一番上から一番下へ、宮中から僕へ、そんなにも外的に変わったのに、内的には絶対揺れなかったという理由は、あまりにもモーセは愛国心にあふれていたからです。

 外的環境が、自分の感情に絶対侵入しないのです。命懸けでやっていれば、牧者になろうが、乞食になろうが、なんとも思いません。モーセは、宮中にいても宮中と思わなかったのです。何と思ったかというと、「いばらの上にいる」と、そのように40年間いたのです。いばらの上で生活するように、安心できなかったのです。それで、いばらの中でヤハウェに会ったのです。

 宮中での生活は、外的には宮中でも、内的にはいばらの上での生活だったのです。いばらは何を象徴するかというと、審判、痛みです。どうやっても刺されるのです。立つことも、出ることもできない、どう動いても、刺すものばかりです。それは何かというと、モーセは寝ても覚めても、イスラエル民族のことばかり考えて、安心して寝ていられないということです。イスラエル民族の将来を考えると、モーセはもうどん底に落ちているようなものだったのです。

 宮中生活をしていたけれど、急に僕の立場になり、牧者になって、かえってそのいばらの中から、解放されたような気になったかもしれません。しかし、イスラエル民族を捨ててきたために、愛国心、信念に燃えているから、肉体的生活の変化を気にしないのです。それでモーセは精神生活に徹する一念をもって、自分の両親に忠節を尽くしたのです。

 どこの家庭に行っても、女性しかいないのです。なぜなら、男性は殺されたり、40歳以上はみな徴用になっているのです。片っ端から引っ張られて、牧者とか農業をやるのは、日本でも「三ちゃん農業」というように、みなおじいさんばかりです。若者はいないのです。だからモーセが水くみをしたのです。

 婦人たちや娘たちが水くみをしていて、モーセが力いっぱい働いたので、その家で相当尊敬されていました。そして、家族的信仰基台を立派につくったのです。ヤコブも自分の家から出て、21年間の僕の生活を、自分の家で、母の前でしたのと同じ基準でやったので、成功して帰ってきたのです。

 自分の家では注意を払い、僕になって出ていくと、でたらめに働くという人間は、希望をもっていても、絶対自分の目的には到達できません。自分自身が差別する生活をし、人によって違った生活をするから、自分の目的を達成できないのです。

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 次回は、「愛国心を崩さなかったモーセ」をお届けします。


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