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心情開拓
心霊を育てる生活原則(72)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

【モーセ路程】
モーセがエジプトを打った理由

 モーセがエジプト人を打ったというのも、歴史的に理由があり、霊的には引っ掛かる何の条件もありません。しかし、モーセは宮中で相当負債を受けています。なぜなら、エジプトの教育を受けたり、エジプト文化の恵沢を受けたり、こういう面においては、イスラエル民族よりも恵沢を受けているのです。それを清算するには、命懸けで宮中生活を清算するのだという覚悟で、殺害しなければならないのです。モーセ自身も、「エジプトには、いることができない」という覚悟で行ったのです。

 モーセ自身がエジプトに対する未練を清算する覚悟で、最後の殺害事件を起こしたあとには、だれを信じなくてはならないかというと、イスラエル民族に期待をかけなくてはならないのです。こういう国家的な、法的な犯罪を行ったモーセは、だれを通じて救われるかといえば、イスラエル民族がこの秘密を隠してくれたなら、堂々とその国にいることができるのです。そして、「なぜイスラエル民族の立場に立つかというと、民族全体が私を愛国者だと崇拝するから」という基台の上で、パロ王に訴える道しかないのです。もしその基台が崩れたならば、モーセはいる所がなくなってしまうのです。

 だから、自分の愛国心をイスラエル民族に見せたのです。それは、イスラエル民族はモーセを中心として、秘密をみな責任もって、モーセと一体となる希望をもっていたからです。だからモーセをだれが救ってやるかというと、イスラエル民族が救ってやらなくてはならないのです。民族が救ってやれば、自分の主体者として立ち、イスラエルも救われるのです。お互いに救わなくてはならないのです。イスラエル民族は、モーセを救ってやる。モーセはイスラエル民族の基台と一体となって、エジプトと戦わねばならない。こういうふうに互いに理由があるのです。

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 次回は、「目的は情的結束」をお届けします。


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