神様はいつも見ている 41
~小説・K氏の心霊体験記~

徳永 誠

 小説・K氏の心霊体験記「神様はいつも見ている」をお届けします(毎週火曜日22時配信予定)。
 世界平和統一家庭連合の教会員、K氏の心霊体験を小説化したものです。一部事実に基づいていますが、フィクションとしてお楽しみください。同小説は、主人公K氏の一人称で描かれています。

第7部 霊界と共に生きるわが人生
4.「死生決断、全力投球」

 2012年、私は突然心筋梗塞で倒れた。
 一度目の心肺停止状態だった。霊界に移動する一歩手前に立ったのである。

 病気というのは、突然発症するように見えるが、実はその原因は身体内部で徐々に進行していて、最後に堤防が決壊して起こる洪水のようなものだ。

 病気のサインは小さな症状から始まるので、軽く考えていると手遅れになってしまう場合がある。

 何事も結果には原因がある。私の病気にも原因があった。
 その原因の中には、個人の節制の問題の他に、遺伝的な問題や先祖に関わる霊的なものもあった。

 私の場合、父もそうであったように、遺伝的な問題には糖尿病があった。それ故、体調が少しずつおかしくなっていたのだが、私はそれを無視して病気の進行を放置していたのだ。

 瀕死(ひんし)の重傷を負うことになった父の交通事故は、先祖の行為を恨む霊によって引き起こされたものだった。

 私が二度も死にかけた背景にも、糖尿病という遺伝的因子を持ちながら摂生に努めずに生活してきたことによって生じた心筋梗塞という面と、恨みの霊による霊的な作用という二つの側面が考えられるのである。

 病院で医者に聞かれる内容も、それをうかがわせる質問が多い。
 一つは、飲酒や喫煙のこと、睡眠時間はどうか、運動はしているか、どのような食生活をしているのかといった、生活習慣に関わる内容である。
 そのような質問を通して、病気になった原因を探り、治療方法や生活の中で改善すべき点を指導するのだ。

 そしてもう一つの質問は、「両親や祖父母、あるいは兄弟姉妹の中に同じ病気になった人はいるか?」というものだ。

 これは、医者も病気の原因の一つとして遺伝的、血統的な要因が働いていると考えるからだ。
 実際、私自身も父と同じ病気を発症しているので、遺伝とか血統的なものによる影響を無視できない。

 2012年の時点で、私は統一教会(現・家庭連合)で信者たちを指導する立場にあり、それだけに疲労も蓄積していた。
 その時の私は疲れやすく、糖尿病の症状である低血糖による目まいの症状もあった。

 だが、それほど大変な事だとは考えていなかったのだ。
 そんな中で韓国へ行ったり、親戚の結婚式の披露宴などに出かけたりしていた。
 症状が少しずつ重くなっていっていると感じてはいたが、それも気のせいだと自分をごまかしていた。
 そんな時、私は母に会いに行った。

 母は私の顔を見た瞬間、「早く病院に行け、それは霊的な問題だけじゃない。すぐに病院に行って調べてもらいなさい」と言った。

 病院でエコーを撮って造影剤で調べてみると、心臓の3カ所の血管が詰まっていた。

 すぐに手術をすることになった。
 その時、霊界から「命が危ない。全てを委ねよ」という警告を受けた。

 カテーテルを入れて局部麻酔だけで手術は行われた。およそ1時間でカテーテルは心臓付近まで到達した。

 霊界からの警告を受けて、私は必死に祈った。
 統一教会の教義である創造原理から復帰原理までの内容と、創始者である文鮮明(ムン・ソンミョン)先生の路程を必死に反すうした。

 カテーテルが心臓に到達する直前、「天のお父様(神様)、もし生きて帰ることができたならば、『死生決断、全力投球』という言葉を実践します」と私は祈っていた。

 その瞬間、私の心臓は停止した。

 それまでは、心臓の音も呼吸の音も、医者の話し声も聞こえていたが、心臓が停止した瞬間、意識がスーッと遠のいた。
 痛みも何もない。ただ意識が無くなっていった。


 「Kさーん、Kさーん」と、遠くの方から呼ぶ声がする。
 その声がだんだん近づいてくる。

 私の意識は戻っていた。

 目を開けると、頭上で医師や看護師たちが慌てふためいている。

 医師が電気ショックを与えて私を蘇生させようとしていた。
 私は気付いてしまった。長時間かけて血管の中を通って心臓の直前まで到達していたカテーテルが全部外されているのだ。

 死にかけているにもかかわらず私はその時、「カテーテルをまた入れるのか。嫌やなあ」ということを瞬間的に思った。

 けれどやらなければ死んでしまう。実に奇妙な気持ちで「でも、ほっておかれるのも嫌だし」と冷静に判断している自分がいた。

 もう一度カテーテルが手首の血管から入れられた。すごく痛い。我慢できないほど苦しかった。
 全部終えるのに4時間もかかった。

 手術は成功し、私は一泊二日の短期間で退院した。
 そして1週間後、もう1カ所同様の手術を行った。何しろ詰まっている3カ所を一つずつ直していかなければならないのだ。

 このようにして、私は死んでいてもおかしくない危機的状況を乗り越えて生き返った。
 その時、湧き上がった鮮明な思いは、一度は死んだ身として「これからは、死生決断、全力投球で歩んでいこう」という決意だった。

 そんな時、統一教会の創始者・文鮮明先生が聖和(死去)された。

 全世界に激震が走った。霊界も鳴動した。2012912日のことであった。

(続く)

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 次回は、「代案を示せ!」をお届けします。