https://www.kogensha.jp

信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(64)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
四、興南解放と釜山伝道

▲金元弼先生

先生を信じてついていきましょう

 いつもいつも堅苦しい話ばっかりして、皆さん、頭が重いでしょう。「私は当分、重くて歩けない」と言う人がいるかもしれません。先生は、御自身のことを全部は話されませんでした。先生のこういう世界を一つ一つ教えてあげると、あまりにも重くて、身動きができなくなると思われるからです。

 分かっていてできなければ、それは大変なことになります。知らなくてできないのは、まだいいのです。ですから、先生は全部話されません。ところが、メンバーたちは、たくさん知りたいと言うのです。しかし、難しい過去のことをお話しすることで、皆様にはそのとおりに行かせたくないのが親の心なのです。先生は道を開いて、私たちが容易に到達できるように導きたいので、全部は話してくださらないのです。その代わりに、「私の話を信じてついてきなさい」と要求されるのです。

 ところが、信じていこうとしても、なかなか理解できないので、「何か、ちょっと分かるようにしてください」と要求するのです。お話ししてあげて、実践したらいいのですけれど、そうでないと大変なことになります。

 ですから2000年前、トマスが復活したイエス様を信じられなかった時に、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい」と言われて、そうしてみて初めて信じたのです。イエス様もその時、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」とお話ししたのです(ヨハネ2027)。

 手を当ててみないで信じなかったならば、赦(ゆる)しの道があるのですが、当ててみて信じないと大変な目に遭うのです。ですから、知るというのも大事ですけれど、分かったあとがもっと大事です。

 しかし、先生から直接聞いたのではなく、私が言ったのですから、まあいいでしょう。私たちが成長していくなら、先生が、今言った以上のお話をしてくださいます。

 そうでない時に、それ以上のものを聞こうとしたら、かえって成長を妨げます。ミルクを飲む子供に、固い物を食べさせるのと同じです。

 そういう先生の世界を、私たちが知っているということは、非常に大事だと思います。今、私が皆様にお話ししていることは、ただ牢屋の中で、あるいは平壌で、また牢屋から出られてからこういうことがあったということばかりでなく、それ以後、今までもそういった生活をなさってこられたということです。そのことを覚えてほしいと思います。

 ただ過去にそういうことがあったということではなく、今もなお、これからもなお、そういう生活をなさるということを考えると、この話の意義があるのです。

---

 次回は、「自分から進んでする人」をお届けします。


◆『信仰の伝統』を書籍でご覧になりたいかたはコチラ