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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(57)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
四、興南解放と釜山伝道

▲金元弼先生

自分の考えでは測れない先生

 南へ逃げるのに際して、私たちは毎日、32キロの路程を歩かなければなりませんでした。それで2週間くらいたった時、その日はいつもより早く出発して、夜遅くまで歩いたので、疲れに疲れ、ひもじくてどうにもなりませんでした。一つの館を見つけて、そこに入って食事の支度を始めました。そこは主人のいない大きな家だったので、たくさんの避難民たちがその中に入り、寝ていたのです。寝るといっても、ふとんがあるのでもなく、荷物をベッドのようにして、着物を着たままで寝なければなりませんでした。

 食事の支度をして、それを食べてしまうと非常に疲れが出ました。夜の11時になっていました。それで朴(パㇰ)さんと私は、ここで休んでいくことを先生にお願いしました。いつもなら受け入れてくださるはずでしたけれども、「行かなければならない」とおっしゃって、この時は二度、三度お願いしても、聞き入れてくださいませんでした。12月の末だったので非常に寒く、また疲れていましたが、仕方なくまた出発し、23時間歩いてから、道端に家を見つけて、そこに泊まりました。

 次の日は、朝早く出発しましたが、途中で橋が全部壊されている川があり、その中を渡らなければなりませんでした。そのころは、UN(国連)軍のジェット機が空をうるさく旋回しており、向こう岸ではUN軍がバリケードを構築していました。後ろからは、中共軍が加わって追撃し、大砲の音が身近に聞こえる切迫した時でした。ちょうど私たちがその川を渡ろうとした時のことです。一人の若い将校が、「以後、この川を避難民が渡るのは許さない」という命令を下しました。敵軍がどんどん追撃してきているので、最終的にこれを防ぐためにバリケードを構築しているのです。ところが、避難民をそのままほうっておくと作戦がうまくいきません。いったん通過を全面禁止にすれば、作戦を自由に行うことができるのです。

 その命令は、私たちが渡り終わった時に下されました。その人たちが私たちに、「避難してここまで渡ってきたのだから、これを手伝え」と言うので、私たちは一生懸命に手伝ってから、また出発しました。

 そこで私は、昨晩、もっと休んでいきたいと先生に申し上げたけれども、先生が聞いてくださらなかった理由が、その時、初めて分かりました。私が「寝ていきましょう。泊まっていきましょう」と言った時に、先生がなぜ泊まってはいけないかと一つ一つ説明されたならば、私はすぐに納得したでしょう。しかし、そういうことを言われないで、ただ「行かなければいけない」と言われただけでしたので、なかなか理解できなかったのです。

 先生には、そういう世界があるのです。自分の考えで先生についていこうとしたら、難しいことがたくさんあります。

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 次回は、「巖徳紋先生の入教」をお届けします。


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