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心情開拓
心霊を育てる生活原則(48)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

存在基台は三点を通じて

 神から来る愛を、三点を通じて円満に回さなければなりません。神の愛はアベルを通して自分に、自分を通じてもう一人を通過するというように、神の愛は三点を通過しないと存在しないのです。存在基台というのは、あなたと私ともう一人のこの三点、それが絶対であって、これを離れた絶対はないのです。アベルなしに絶対というものはないし、カインなしに絶対というものもないのです。だから、み言を中心とした自分と、あなたと、そしてもう一人、この三点がなければ、絶対者との関係を結ぶ方法がないのです。

 それゆえに、自分とあなたとの関係さえみ言を通じてできれば、神はその上に存在するのです。堕落性を脱ぐのにアベルを通じなければならない理由は、原理がそうなっているからであり、主管性というのは一人を通ずることで、二人、三人を通ずることではないのです。

 まずアダムを通じてエバ、そして繁殖というように、必ず生命の道は一つの道であり、たとえ双子が生まれても、一人ずつ生まれてくるのです。また、死亡の道も一人で行かなくてはならないのです。だから、通過する路程においてだれを通じるかが大事です。

 天使長は逆さまに通じてしまったのです。天使長の通過は、神を中心としたのではなく、自分が動機となってエバを通過し、エバを使ってアダムを通過して自分に戻ったので、神とは全然関係なくやってしまったのです。だから、逆に天使長の側のカインは、必ず天の味方のアベルを通過して、天の側に必ず主管されなくてはならないのが、堕落性を脱ぐための経路なのです。

 だから私たちは、世間にふさわしい子であってはいけないということです。復帰摂理は何でも反対であり、世界では絶対信じられないことを私たちは信じていくし、世間では絶対滅びるようなことも、私たちは滅びることを知っていながら、滅ぶ目的で、滅ぶために行くのです。殺されなければならない自分であり、生きようとして行く私たちではないのですから、すべて否定していくのが、当然です。

 天使長は神を通過したのではなく、神の立場を中心としたのではなく、神を仲保としたのではなく、神に主管されたのではなく、神に愛されたのではなく、神に通じたわけでもないのです。だから、私たちはだれを通じなければならない自分かということを、信仰者ならみんな知っているはずです。どちらが神に近いかという善悪は、みんな知っているはずなのです。それを知らせておくのは6千年の神の責任なのです。

 ノアを通過し、アブラハムを中心としてヤコブを通過し、そしてモーセを、それ以後は十戒を通過するのです。

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 次回は、「心配し責任をもつ人と一つになる」をお届けします。


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