愛の知恵袋 13
節目と成長

(APTF『真の家庭』123号[1月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

人生の目標を明確にする
 新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 さて、新年に当たって、皆様はどのような決意を胸に出発しようとしておられますか。

 あらためて身辺を見れば、生活すること自体が精一杯という厳しい時代の到来を感じさせられる昨今でもあります。しかし、そんな中で生きるとしても、「たった一度の人生」ということを考えれば、やはり「働いて、ご飯を食べて、テレビを見て、死んでゆく…」というだけの人生では、あまりにも虚しいでしょう。

 やはり、「人生とはなにか…」と生きる意味と目的を考えて、「自分は必ず○○を成し遂げよう」という目標を明確に持つ必要があると思います。そうしなければ、臨終を迎えたときに悔いを残すに違いありません。

 人生というのは、目標をはっきりと持たない人にとっては、何となく長く感じられるものです。しかし、「死ぬまでにこの夢を達成したい」とか、あるいは、精神修養の道において「死ぬまでにこの境地に到達したい」というはっきりとした目標を持っている人にとっては、「光陰矢の如し」です。時の流れはあまりに速く、人生はあまりにも短すぎると感じるものです。

 仮に、80歳まで生きるとして、現在40歳ならば、桜の花をあと40回見たらもう終わりなのです。まさに、「少年老い易く学成り難し」です。

節目としての年、月、日
 私達の一生は非常に短く、しかも二度とあと戻りはできないものです。それだけに、時間の一時、一時は貴重なものであり、決して無駄にできないものでしょう。

 ところで、もし、一生が1年の区切りもなく、昼と夜の境目もなく、生まれてからずっと同じような状態が続いて、そして死を迎えるとしたらどうでしょうか。途中で反省や改心、決意ややり直しなどの機会を持てないままに、あっという間に人生の終末を迎えてしまうかもしれません。

 そう考えてみると、1年、1カ月、1日という区切りがあるということは、実にありがたいことだと思うのです。

 旧約聖書の中に次のような言葉があります。「神はまた言われた、『天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、天のおおぞらにあって地を照らす光となれ』。そのようになった。神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られ。」(創世記第一章1416節)

 この言葉は、とても奥深い示唆に富んでいます。宇宙の創造主が地球の周辺に太陽と月を絶妙なバランスで配置することによって、全ての生命体に必要な光と熱と海の干満や潮流を起こしてくれるだけでなく、私達が生活に節目をつけやすいように、年のしるし、月のしるし、日のしるしを与え、さらに、昼夜の区別と春夏秋冬の季節の変化を与えて下さったと考えると非常に興味深いものがあります。

竹は節があるから成長できる
 「木は、年輪があるから堅固になり大きく成長できる」と言われます。

 同様に、人間も「けじめをつけることができる人こそ、大成できる」と言えるかもしれません。趣味と仕事のけじめ、家庭と職場のけじめ、時間のけじめ、約束ごとのけじめ等をきちんとできない人が、実社会において信頼され成功することはあり得ないからです。

 また、「竹は、節があるから成長できる」といいます。同様に、「人は、反省があってこそ成長ができる」と言えるのではないでしょうか。

 人生の究極の目標が、愛情の成熟による人格の完成であるとすれば、短い一生の中でそれを達成するためには、途中で何度も何度も、反省してはやり直すということが必要でしょう。

 そのように考えると、一日の節目、月の節目、年の節目があるということは、実に素晴らしいことではないでしょうか。

 さあ、新年の出発です。昨年までの自分を反省し、目標をもう一度はっきりとさせて、新しい一歩を踏み出しましょう。

 今、生かされていることに感謝して、新年にふさわしい新しい心を持って、人生のゴールをにらみながら、元気よく再出発したいものです。