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心情開拓
心霊を育てる生活原則(39)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

歴史の要求する自分

 私たちが復帰路程を歩んでいるのだという信仰をもったならば、自分は歴史的なものであり、歴史が要求する自分なのだということを、まず考えなければならないのです。

 また、自分が家庭をもてば、自分は家庭のものであり、家庭の目的のためのものです。家庭を代表して、自分の家庭にどう責任をもつか、自分の家庭を自分が責任をもたなければ、主人の立場に立てません。その家庭目的のために、自分も尽くさなければならないのです。だから、血統的に私たちは歴史のものであり、歴史的なものであるというときには、歴史の主人の立場で歴史が要求する自分でなければならないのです。

 信仰する私たちは、どうしたら神に愛され、どうしたら神に主管され、神のものになるかを考えますが、自分が歴史のものであり、歴史が要求する自分であるという歴史的事情が分かって、歴史的方向、歴史的目的さえもてば、神はその人を、親しく愛さなければならないのです。

 ノアもそういう立場で神と付き合い、アブラハムも、民族の表者モーセもそうだったのです。モーセはその歴史的な任をもち、歴史的方向をもって、イスラエル民族の将来のために、いつも考えていました。だから神に選ばれて、そういう歴史的責任者になったのです。神がなぜそういう人を選んだのか、なぜああいう人物が神と関係をもつようになったのかを、よく知らなければなりません。

 大先生は中学生の時に、新聞に自殺した青年の記事が出ていたのを見て、朝から晩まで三日間くらい、学校も行かずに泣き通し、自殺した本人以上に苦しまれたことがあります。そしてその涙が、油紙を敷いたオンドルの底の所にたまって、教会の人を驚かせてしまったことがあるのです。

 大先生は、人間というものを知るために聖書を読まれたのですが、聖書のルカ福音書第1249節を見て、イエス様が自分の言いたい秘密を一言も言われていないのを知って、それからは聖書を読まれませんでした。

 聖書の中には、書かれるべき神の秘密が何も入っておらず、イエス様を通して言いたいことも、やりたいことも書かれていないのを見て、小学校の時に、牧師さんの所へ行って信仰目的に対して質問されました。「イエスを信じればイエスになれるのですか」と。しかし牧師さんは、「私たちは血統的に罪人であるので、イエス様を中心として救われるけれども、イエス様になることは絶対できない」と答えたのです。結局既成教会では、その目的が果たせないので、直接神と闘い、神に突撃していかれたのです。

 大先生は、ソウルに下宿して学校に通っておられたのですが、子供の時から、相当の悩みをもち、泣いたり、祈ったりされました。また韓国の高い山に登り、何日も山で過ごすうちに、神様との付き合いが始まっていったのです。信仰人物というのは、モーセもアブラハムもノアも、みんなそうでした。

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 次回は、「歴史に責任をもつ」をお届けします。


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