シリーズ・「宗教」を読み解く 200
新年に寄せて
共通のビジョンを抱いて歩む宗教人に

ナビゲーター:石丸 志信

 新年を迎えた朝、首都圏では思いのほか晴天に恵まれた。
 晴天の下、朝の澄み渡った空気に触れ、全てが刷新された神聖な感覚を覚えた。美しいこの国に生まれた喜びと、創造主への感謝の念がおのずから湧き起こる。

 本年「壬寅(みずのえとら)」は、「陽気を孕(はら)み、春の胎動を助く」を意味するという。
 厳しい冬に鍛えられた種が春を迎えて芽吹く、生命力あふれた年になることを予感させる。世に生きる全ての人々に自由と幸福な日々がもたらされることを祈る。

 祝祭は、感謝、賛美、嘆願を含みながら、神と人とが共に過ごす時。新しい年を刻む新年の祝祭に始まり、季節の節目ごとに祝祭がささげられる。
 伝統が違っても祈る人々の願いは変わらない。人は、その神聖な時間、かつて神より頂いた恩恵を思い起こし、今ここに生きていることへの感謝をささげ、幸福に満ちた未来に希望を抱くことで、歴史を紡いできた。

 中でもユダヤ教の祝祭は、かつてイスラエル民族が経験した出エジプト体験を想起し、やがて来る天地創造の七日目の安息を記念する。いまだなされてはいないが、約束された完成の喜びを先取りして祝うものだ。
 安息日ごとにこの記念が繰り返され、大きくは一年のサイクルを生み出しながら、1000年、2000年と希望を保ってきた。

 キリスト教はこの伝統を継承し、神の独り子の来臨によって完成の時が一歩近づいたと受けとめ、祝祭を刷新した。始まりの時があり、終わりの時がある。終わりの時は、始まりの時に示されたビジョンの完成の時。神の創造の御業(みわざ)は必ず完成の時が来る、あるいはすでになされたとの確信がそこにはある。

 祝祭によって培われた宗教的人生観を抱く人は、確かな完成のビジョンから今を見ることができる。今この時、あらゆる困難が押し寄せても、必ず訪れる完成の時に向かって歩み続ける。
 これまでの伝統が違っても、共通のビジョンを抱いて歩む宗教人が世にあふれることを願うばかりだ。しかしその前に自らがそうならなければと思う年頭である。