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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(35)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
三、興南監獄での伝道

▲金元弼先生

苦労させなければならない神

 共産社会では、先生の裁判のことが大変な話題となりました。先生は、電気工学も科学も勉強したお方です。彼らは、先生の裁判を共産党の幹部たちに見せたかったのです。1948222日に入られて、47日に裁判がありました。しかし、実はもっとあとに裁判をしようと計画していたのです。その予定を変更して、7日にしたのです。法廷には、私たちに反対してきたキリスト教のリーダーや信者は言うまでもなく、共産党の幹部が立錐(りっすい)の余地もないほどにいっぱいに集まりました。開廷する前に、先生は何人かの犯罪者と共に、鎖をつけられて前のほうに座られました。先生の頭の毛は全部刈られて、坊主のようになっていました。

 18カ月の生活は、涙と汗と、そして血を流す道のりでした。先生は、平壌での牧会生活で、涙を流されない日はありませんでした。私が先生の路程を語る時は、皆様が見るように、深刻な思いに駆られます。先生のそうした日々を思い浮かべると、そうならざるを得ないからです。

 先生は牢屋に入ってからは、いっさい涙を見せられませんでした。先生は、先生が牢屋の道を行かなければならないことを知っていらっしゃる神様の苦しみを考えるとき、先生の苦しみよりも、愛する子が刑務所にいて苦労するのを見る神の苦しみが、もっと大きかったということをよく御存じでした。

 苦労する先生よりも、苦労させなければならない神の心は、もっと沈痛に駆られていることを知っているので、それよりも、神の心を慰め、勝利して、その喜びを神に絶えず返すという強い決意のもとに、弱さを少しも神の前に見せられませんでした。神に対して、弱い心を絶対に見せたくなかったのです。「私のために心配なさらないように」と、そういうふうにかえって神を慰められました。

 ところが、1日の休みもなく、本当に心を尽くし、愛した18カ月の牧会の日々が過ぎて、牢屋に入られた時は、先生は壁にぶつかったような状態であったと、私は推測します。

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 次回は、「神を慰め勇気づける」をお届けします。


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