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新・熱き祈祷のすすめ 45

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「新・熱き祈祷のすすめ」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 祈りの必要性や祈りの種類、実践方法をまとめた祈祷の手引書です。

松本 雄司・著

(光言社・刊『新・熱き祈祷のすすめ』より)

第七章 深い祈り

3 神の痛みを解放するために(2)

 韓国には、一般にもクリスチャンの霊能者が多くいます。ある霊能者が神の前に「文(ムン)先生とは、どのような人なのですか」と真剣に談判祈祷していくと、返ってくる答えは、ただ涙、涙だというのです。とにかく涙が流れて、おえつが始まります。文先生のことを神に問うていくと、神が泣かれるというのです。それは私たちが計り知ることのできない、深い世界です。

 私はいつも文先生のお祈りを聞くたびに、ショックを受けます。「天のお父様……」と呼び掛けられたそのあとから、もうおえつが始まるのです。込み上げてくるものを抑えるようにしながら、いつも祈られます。私たちの祈りとは何と次元が違うことでしょうか。それと比べたら、私たちの祈りは実に淡白で、形式的と言わざるを得ません。

 先生の祈りは、私たちのように漠然と神を思っての祈りではありません。神を実感しておられるのです。重要な摂理のすべてを具体的に神と話し合い、神から答えを得てお決めになり、すべてのことを成していかれます。また、一言「父よ……」と呼ぶだけであとは声にならない、天のお父様との間の深い心情の絆を感じさせられるのです。そこに、最高の祈り、祈りの完成の姿を見ます。

 私たちにとって、祈りの最大の目標であり、師であり、仰ぎ見る見本は、イエス様であり、文先生です。神の心情、神の痛み、言うに言えない悲しみを御自分のものにされ、神との深い境地に至られたメシヤにいかに近づいていくかが、私たちの生涯の課題であろうと思います。

 私たちは、確かに今まで愛されてきました。今も神から愛されています。今後も神は、私たちを愛してくださるに違いありません。けれども、その愛に甘えていてよいのでしょうか。

(続く)

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 次回は、「神の痛みを解放するために(3)」をお届けします。


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