日本人のこころ 57
鎌田茂雄『朝鮮仏教史』『八宗綱要』

(APTF『真の家庭』278号[2021年12月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

『八宗綱要』(講談社学術文庫)
 奈良市にある華厳宗大本山東大寺で今年925日、鎌倉時代後期に活躍した東大寺の学僧・凝然(ぎょうねん)大徳の700年遠忌法要がありました。凝然はインド・中国・日本の仏教史を広く研究して日本仏教の包括的理解を探究、『八宗綱要』など膨大な著作を残し、新興の鎌倉新仏教に対し、いわゆる鎌倉旧仏教の復興に貢献した僧侶です。

 凝然は1240年、伊予国(愛媛県)の高橋郷(今治市)で生まれ、比叡山で菩薩戒を、東大寺戒壇院の円照に師事して通受戒を受けました。愛媛県では同県出身で時宗宗祖の一遍上人に次いで有名な宗教人です。凝然の修学は、華厳を宗性に、律を唐招提寺の証玄に、密教と天台教を聖守に、真言教を木幡観音院の真空に、浄土教学を長西に学び、華厳教学について各所で講義を行いました。

 円照の没後、東大寺戒壇院の長老となり、法隆寺や唐招提寺など南都寺院を管轄、後宇多上皇が出家した際には戒師を務めるなど朝廷からも尊崇されていました。

 29歳の若さで著した『八宗綱要』は日本仏教史研究に不可欠の文献で、八宗とは、法相(ほっそう)宗・倶舎(くしゃ)宗・三論宗・成実(じょうじつ)宗・華厳宗・律宗の南都六宗と天台宗・真言宗の平安二宗のことです。凝然は禅宗・浄土宗の鎌倉二宗を加えると「十宗」になるとし、日本仏教を大きく変革した鎌倉新仏教にも通じていました。

 日本仏教が中国仏教圏から完全に独立し、新たな展開を遂げたのは鎌倉新仏教においてですが、鎌倉旧仏教も中国仏教教学とは異なる独自の展開を遂げました。その代表例として、『八宗綱要』の訳注を著した鎌田茂雄東京大名誉教授は、「華厳宗の凝然教学には中国仏教教学とは違う独自な体系が見られる」と述べています。

 同書の冒頭、鎌田氏は次のように書いています。

 「仏教は人間学ではあるが、人間をどのように見るか、ということは仏教の宗派のなかでもその見方は異なる。たとえば『維摩(ゆいま)経』では、人間は空無な存在であり、空無の中に生きつづけるのが人間であると見る。三論宗や禅宗でも人間をこのようにみる。しかし一面、人間は罪業を背負った存在であり、自分の力では永久に救うことができないともみられる。浄土への往生を希願したり、煩悩汚辱の存在であることを自覚すれば、浄土教や真宗のような人間観も生れるはずである」

 鎌田氏の核心は観音信仰でしたが、禅宗から浄土宗までまさに凝然のように修学したのです。同書には次のようにも述べています。

 「仏教用語は人生の生き方と無縁なものであってはならない。たんに観念的に述語を羅列したのが仏教の教義ではないのである。たんなる形而上学や観念論ではなく、苦悩を背負いながら生きてゆく人生の真相に裏打ちされたものでなければならない」

 これはほかの宗教についても同じで、思想にかかわる学びは自身の生き方と連動していなければ意味がないのです。

『朝鮮仏教史』(東京大学出版会)
 鎌田氏によく言われたのは、インド、中国、韓国の仏教と並列的に比較しないと、日本仏教の意味は分からない、ということ。源流は同じですが、それぞれの風土や文化、思想を吸収し、変容してきたからです。鎌田氏は当時、あまり注目されていなかった韓国の寺院を、辺鄙な山奥まで韓国の仏教学者以上に訪ね歩いています。

 新羅の僧、元暁(がんぎょう)と義湘(ぎしょう)を高く評価したのが鎌倉時代、高山寺の明恵(みょうえ)です。とりわけ元暁は華厳宗とともに新羅浄土教の先駆者で、その思想は中国でも高く評価されています。

▲元暁(원효)/ウィキペディアより

 義湘は新羅華厳宗の祖とされ、東大寺に華厳宗を伝えたのは元暁の弟子の審祥です。日本の仏教は最初に百済から伝わりますが、骨格を形成したのは新羅の華厳宗と浄土宗で、行基や空也が現れ、法然が宗派としての浄土宗を開きます。

▲義湘(의상)/ウィキペディアより

 それまでの貴族仏教に反対し、仏教は民衆の中に入っていくべきだと考えた元暁は、大きなひさごを叩きながら歌で教えを説き、「念仏おどり」を創始したともされます。

 初期の新羅には貴族を中心に弥勒下生(げしょう)信仰が先行していたのに対して元暁は弥勒上生信仰を重視し、弥勒浄土から阿弥陀浄土の信仰に移りました。「念仏すれば阿弥陀如来の西方極楽浄土に往生できる」という教えの方が民衆には簡単ですから、元暁は衆生を救うための方便として浄土信仰を活用したのです。

 当時、既にいろいろな宗派に分かれていた仏教理論を、高い次元から総合しようとしたのが元暁の和諍(わじょう)思想です。さらに、悟りとは自分の内に在る「一心」に立ち返ることで、「和諍」の基底に「一心」の思想があると説き、衆生のために行する実践を唱えました。そして、涅槃の世界は来世にあるのではなく、今我々が住んでいるこの世界が真如の世界に成りうるとしました。一心に至れば、誰でも現世において悟りを得ることができると説いたのです。

 そして、仏教の究極的な目標は思想を極めるだけでなく、常に衆生を救済することにあるとしたのが「無碍の実践」で、元暁は華厳の思想を易しく解いて「無碍歌」を作り、町の至るところに風のように現れ、歌ったりしながら仏教の生活化に努めました。障害になるものは何もなく、肉食妻帯もしています。元暁は東アジアの宗教を人間の生き方として一つにしたと言えます。

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