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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(26)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
二、いつも弟子に関心をもたれる先生

▲金元弼先生

歴史を蕩減復帰する私たち

 先生は、「6000年の縦的な歴史を横的に全部復帰する摂理なので、同じ統一教会の中でも、楽に行く人もあれば、ちょっと難しい道を行く人もいるし、いろいろな人がいる」とおっしゃいました。それで先生は、「統一教会のメンバーの中には、野宿者もいるんだよ」と言われたのです。それは、今までたくさんの歴史的な人たちがいましたが、それを蕩減復帰する道が必要だからです。その人たちを解放する使命をもっている人もいるというのです。つまり、歴史に起こったいろいろなことを蕩減復帰するために、同じような状況があり得るということです。私たちによって、そういう人たちの心情の世界が解放されていくのです。

 そういう人たちは、霊界に行っても恨みがあります。ですから、私たちが同じ立場に立って、真の親と神を中心として、これを感謝して受けていけば、そういう人たちが全部、解放されていくということです。

 では、この世に生を受けた人たちは、どのように恨みをもっていたのでしょうか。例えば、この世で野宿者の生活をして、恨みをもって霊界へ行っている人たちがいるとします。そのために、メシヤと神が私たちを救うために野宿者の生活をして、食べる物も食べず、おなかが減るという生活をしたというのです。

 先生でも、そういう野宿者の生活をせざるを得ないのです。それで、野宿者の生活をなさっていたのです。野宿者の生活をしても、神を考えながら感謝していたならば、恨みが残らないのです。しかし、先ほどの人たちは、感謝できないでそのまま霊界へ行ってしまったので、恨みが残っているのです。どんなに惨めな立場に置かれても、神に感謝して、神をたたえていくならば、恨みは残りません。では、どうしたらそういう惨めな時に、神に感謝する心が出てくるのでしょうか。

 自分のことを考えると、恨みを抱かざるを得ないのです。例えば、他の人はみんな良い生活をしているのに、なぜ私だけがこのようにならなければいけないのかと考えます。それで自分の親を恨んだり、神を恨んだりするのです。しかし、神もこういう生活をしたのだと考えれば、かえって神を慰めることができるし、また、そうした神の苦しみを分かるようにしてくださった神に対して感謝する心が生ずるのです。野宿者であっても、人のために尽くすならば、絶対に野宿者のままでいるはずがないのです。ですから、人に奉仕し、「私はこのような野宿者にはならないのだ」と心を変えていくならば、絶対に恨みになることはないのです。

 野宿者は、なぜ野宿者になったのでしょうか。働かず、奉仕もせず、自分のやりたいことを全部やってしまって、お金をすべて使ってしまったからです。そして働かないから、お金は入りません。もしその人が神を考え、人のために尽くすならば、「野宿者になりたい」と100年間祈っても、野宿者になることはありません。ところが、それができなくて、霊界へ行ってから初めて分かるのです。しかし、悟った時には、既に肉体をもっていません。時既に遅し、です。ですから恨みがあるのです。

 では、その恨みは、どのようにしたら解くことができるでしょうか。それは、地上にいる同じ野宿者が心を変えて、人のために尽くすことによって、神に感謝し、人に感謝する心をもつようになれば、霊界の野宿者はその人によって恨みが解かれていくのです。

 ですから、私たちが周囲の人たちのことを考える時に、互いに過去の人の恨みを解放してあげる道を行っているのだと考えると、お互いを尊重し合う心も出てくるのです。

 私たちが、どういうことであっても、先生のみ言どおりにやっていくことによって、いろいろなものがすべて蕩減されていくのです。ですから、一番大事なことは、先生のみ言に従っていくことです。それによって、すべてが解かれていくのです。先生自身がすべてのことに蕩減条件を立てていらっしゃるからなのです。先生は野宿者の生活をされましたし、この世のすべての生活を経験されました。そういう先生についていけば、私も同じ立場で蕩減したという条件が成り立つのです。

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 次回は、「み言で自らを正す」をお届けします。


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