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青年よ行け、そして世界を救え
21世紀の青年運動への提言(14)

 36家庭の朴普熙(パク・ポーヒ)先生(1930~2019)による講演「青年よ行け、そして世界を救え」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。

(光言社・刊『青年よ行け、そして世界を救え』より)

五、神と再臨の救世主、共産主義から人類を解放

救世主の新聞作り

 では、レーガン氏を大統領に当選させることによって、ソ連の終焉(しゅうえん)はもう決まったのでしょうか。いや、そう簡単ではありません。もし、レバレンド・ムーンがもう一つの大きな奇跡を起こしていなかったならば、今もまだ、共産主義の終焉はなかったのではないかと思います。

 そのもう一つの奇跡は、何だったのでしょうか? それは、「ワシントン・タイムズ」の創設でありました。アメリカは、世論の国でございます。政府より強いのが言論でございます。ところが、レーガン氏の就任の時のアメリカのマスコミは、徹底的にリベラルであり、特に、自由世界の首都とも言えるワシントンには、「ワシントン・ポスト」という超リベラルな容共新聞一つだけが残っていたのであります。東京に新聞が一つしかないということを、皆様、考えられますか? これではソ連を「悪魔の帝国」と呼んだ、さすがのレーガン氏でもかないません。

▲ワシントン・タイムズ紙

 ここで、レバレンド・ムーンは立ち上がりました。
 「このままではアメリカは滅びる。アメリカが滅びれば世界が滅びる。我々はアメリカを救わなければならない。統一教会を犠牲にしてでも、ワシントンに勝共新聞を作らなければならない」と、悲愴な覚悟をなさったのでございます。

 その日が1982年の1月1日でありました。
 その翌日、私はワシントン・タイムズの初代社長に任命され、200名の中核メンバーたちを引き連れて、ニューヨークからワシントンに入城したのであります。

 それから、6カ月も経たない5月17日、ワシントン・タイムズがその勇姿をアメリカの前に現したのでございます。これは歴史にない新聞創設の最短記録でありました。これは本社ビル、これはアメリカでも有名な我が編集局、これは印刷工場です。

▲ワシントン・タイムズ本社ビル

▲ワシントン・タイムズ編集局風景

▲ワシントン・タイムズ社印刷工場

 ところが、あの時、アメリカの言論専門家たちは笑いました。この新聞は6カ月も続かないと予言をいたしました。それは、統一教会がやる新聞だからでございます。「まあ! 教理の宣伝くらいやるだろう。だれがそんなもの、読むものか」と思ってあざけり笑ったのです。ところが、その予言とは反対に、今日まで13年間、ワシントン・タイムズは世界最強の新聞であるとの評価を受けながら、レーガン政権をリベラルな容共のマスコミから守り、そして大胆なる勝共政策を建議し、共産主義宗主国、ソ連の終焉に決定的な役割を果たしたのであります。

 この度アメリカ国会の覇権を握った国会議長NEWT GINGRICH(ニュート・ギングリッチ)氏は、こう言いました。

 「THE WASHINGTON TIMES HAS THE REAL INTEREST IN AMERICA AT HEART」と。「アメリカの本当の魂をもつ、唯一なる新聞」だということでございます。

▲ギングリッチ元米国国会議長のメッセージ

 多くの奇跡的な詳しい歴史を、今日皆様に全部申し上げられないのが残念でございます。詳しいことは、田井友季子先生が書かれた、『神の代辯者』(世界日報社刊)を必ず読んでください。私が全部、田井先生のインタビューで証言をいたしました。

▲『神の代辯者』田井友季子著(世界日報社刊)

 ここで私は、ワシントン・タイムズがなした一つの決定的な功績だけは、皆さまに報告しておきたいと思います。それは、SDI戦略防衛構想の政策化に対する貢献であります。

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 次回は、「SDI(戦略防衛構想)への貢献①」をお届けします。