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青年よ行け、そして世界を救え
21世紀の青年運動への提言(13)

 36家庭の朴普熙(パク・ポーヒ)先生(1930~2019)による講演「青年よ行け、そして世界を救え」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。

(光言社・刊『青年よ行け、そして世界を救え』より)

五、神と再臨の救世主、共産主義から人類を解放

投票日の予言

▲「レーガン・ランドスライド」の活字が躍るニューズ・ワールド紙

 いよいよ投票の日がやってまいりました。レバレンド・ムーンは私に命令なさったのであります。投票日の前日、ニューズ・ワールド紙に大きく予言を出せとのことです。それも「レーガン、地滑り大勝利とせよ」とのことです。今、レーガン氏が勝利するかさえも疑問なのに、「地滑り大勝利」とは、これは当時の事情からして、あまりにも懸け離れたものでありました。

 当時、アメリカ全国にレーガン氏が勝つと分析した専門家は、1人もおりませんでした。ところが、私にはこれは救世主のみ言(ことば)でございます。どうしますか、これ?「万事休す」でございます。

 私は、しっかりと信仰をもってとらえましたが、新聞社に帰ったら反対が、大変でありました。「冗談にもほどがある、これはあまりにもひどい。ニューズ・ワールドは明日、笑いものになる」と。

 私たちは、みんな臆病になって、小さくレーガン勝利の予言の記事の草案を書いて、恐る恐る、レバレンド・ムーンにお見せしました。それは、「もしかしたら、レーガンが勝利する、かもしれない」との内容でありました。

 それを見たレバレンド・ムーンは急に、「おい! ごみ箱ちょっと持ってこい」と、私におっしゃいました。そして、「この記事は、ごみ箱行きだよ」とおっしゃって、直ちにそれをごみ箱に捨てられました。

 そして私を真正面から見据えながら、おっしゃいました。「お前、第三次世界大戦が起こったら、どのような見出しを新聞に書くのか」と。

 私は何気なく「ええ! 三次世界大戦ですか? それはもちろん、大変なニュースですから、1面の大見出しで、拳のような活字を使います」。

 それを聞いたレバレンド・ムーンは、「そうだ! それで行け! 私にはこれが第三次世界大戦だ」とおっしゃいました。

 編集局に帰った私は、ますます高まる反対の者たちを、どうすることもできませんでした。しかたなく一堂に集めてこう叫びました。これは私の一生で最も重大な演説ではなかったのかと思います。

 「皆さん! ニューズ・ワールドは救世主の新聞ではありませんか! ニューズ・ワールドは今日、救世主の願いを一つ果たして、明日、潔く殉教新聞になりましょう。最後の新聞でございます。勇敢に作ってください!」と。これには、だれも何も言うことはありませんでした。

 そして、でき上がったのがこの新聞でございます。「Reagan Landslide! レーガン地滑り大勝利!」。正に第三次世界大戦勃発のごとくです。

 翌日の朝早く、これを受け取ったレーガン候補は、まず驚き、そして大変喜びました。

 レーガン大統領候補は、この新聞を掲げてすぐ記者会見に出ました。それが、ちょうど投票日1980年11月4日の朝でありました。

 このニューズ・ワールドの写真がアメリカ全国の新聞に出たばかりか、アメリカの、すべてのテレビがこの新聞を全国に報道しました。

 2億4000万のアメリカ人はこの投票日の朝、大混乱に陥りました。

 「オー、もうレーガンが勝ったのか? 投票がもはや終わったのか? 私、まだ投票していないのに。これどうなったのか?」と。

 彼らは、テレビを通じてレーガン地滑り大勝利はよく見えるけれど、これがニューズ・ワールド紙の予言だという文字は小さくてよく見えなかったのであります。

 レバレンド・ムーンはこの新聞一枚で、アメリカ全国民の心理をレーガン勝利の方に導いたのです。今考えても、これは天才的な戦略でありました。

 レーガンが勝つという心理が、アメリカ全国にみなぎりました。アメリカは一日中、「Reagan Landslide!」の大見出しを見ながら投票したのでございます。

 その夜、開票が始まりました。夜の10時にはもう、レーガン氏の勝利が確実となりました。11時が過ぎるとレーガン氏は、ニューズ・ワールドの予言のごとく、全く「地滑り大勝利」という奇跡が確実になったのでございます。

▲投票日の朝に報道された写真

 アメリカのすべての言論界の目はニューズ・ワールドに集中しました。数百名の記者たちがニューヨークの我が新聞社に押し寄せてまいりました。「社長と会見をしたい」とのことです。

 興奮して狂気になった記者たちは、私を見た途端、「どうして分かったんですか? どうしてレーガン大勝利が分かったんですか?」と四方八方から怒鳴りつけました。

「何人に電話をしたんですか? 数千人ですか? 数万人ですか?」とも叫びました。アメリカでの世論調査は大体数百人に電話で行うのですが、彼らは我が新聞社がこのような確実な結果を出すためには、数万人にも電話したと思ったのです。

 私は、言いました。「いや、私たちはそんなやり方はしません。それは19世紀の時代後れのやり方です。私はただ、電話1本をかけました」。

(記者)「だれに電話をかけましたか?」
(社長)「レバレンド・ムーンに電話をかけました」。
(記者)「では、それはレバレンド・ムーンの予言ですか?」
(社長)「全く、そうでございます。レバレンド・ムーンの予言です」。
(記者)「では、レバレンド・ムーンはどうして分かったんですか?」
(社長)「私が聞くところによりますと、レバレンド・ムーンもただ1本電話をかけたそうです」。
(記者)「だれにですか?」
(社長)「神様にです!」
(記者)「ええ!! 本当ですか? では、その神様の電話番号、ちょっと教えてください!」

 その日、ニューズ・ワールドは一躍アメリカで英雄的な新聞となりました。

 私は文鮮明先生の、偉大なビジョンと、その戦略に感動のあまり涙が流れました。

 「さすがー、我が先生は救世主である。救世主に栄えあれ」と何回唱えたことでしょうか。

 こうしてレーガン氏はアメリカ40代の大統領になったのでございます。皆様は、その驚くべき秘話のただ一つを、今日聞いたのでございます。

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 次回は、「救世主の新聞作り」をお届けします。