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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(23)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
二、いつも弟子に関心をもたれる先生

▲金元弼先生

子供と友達になる

 涙とお祈り、汗や血を流すといった激しい生活の中にあっても、先生は、主婦の教会員の子供ともよく友達になっていらっしゃいました。

 3歳くらいの幼い子供がいましたが、先生はしっかり抱いてあげたり、2歳くらいの子供にキスをさせたりすることもありました。背が低いものですから、なかなかキスができないので、その子供はとうとう、先生のひざの上に上がりました。しかし、先生の口までは届かないのです。それで考えた挙げ句、今度は先生の胸に向かって、はい上がり始めました。そうしたら届くようになりました。ところが、今度は先生が頭をぐっと後ろのほうにあお向けにして、届かないようにしました。子供は、一生懸命にはい上がろうとしてもなかなか届かないので、結局、先生の耳を引っ張ってキスをしました。

 先生は、子供とたわむれながら、たまには子供を泣かせることもありました。子供は泣き出すと、なかなか泣きやまないときがあります。先生はそういうときに、かえって泣かせることがあります。そうすると子供は、気に障って、もっと泣くのです。次には、もっと泣くように押してやるのです。子供がいくら泣いても泣いても、泣きやむまでは連れていってやらないのです。先生と子供だけがいるのならば問題はないのですが、子供の母親もいれば、食口たちが周りに座っているのです。子供はしきりに自分の母のほうに向かって、助けを請うて帰ろうとします。

 ところが先生は、子供が行こうとすれば引っ張るのでした。いくら泣いても泣いても、お母さんには助けてくれる気はないし、先生は離してくれないので、子供は仕方ないと思って泣きやむのです。子供のお母さんは、先生がどういうお方であるか知っていますから、先生のされるようにして見守っているのでした。先生は、泣きやんだ子供を抱き上げていたわってあげました。そしてその子供に、泣く前に気持ちが良かったその状態以上の喜びを感じさせて、母親のところに返してあげたのです。

 皆さんは、これが何を意味するか分かりますか。子供との関係を通じて、二つのことを教えていらっしゃるのです。先生が最初はキスをするようにさせたということは、神が人間に祝福を与えようとするときに、祝福を受けるということは、人間の責任分担であるということを象徴されたのです。それには、蘇生、長成、完成という3階段があることを見せてくださったのです。普通、先生は、子供にただキスしてもいいのに、なぜ子供に、こういう3階段を通してキスができるようにされたのでしょうか。それは神が人間を創造して、人間に祝福を与えるときに、人間は責任分担を通して、祝福を自分のものにできるということと同じです。

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 次回は、「自分で完成する」をお届けします。


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