私の心の中にいる神様 88
「お便り&コメント」シリーズ⑪
「悔い改め」はないの?

 真の父母様が、「第二の神様」であると言われた“良心”。自分の心の中にいる神様―良心―と対話(瞑想、祈り)することによって、本然の自分を取り戻していくことができます。
 今回は、「自己牧会プログラム」事務局に寄せられたお便りと、それに対する同事務局からのコメントをご紹介しましょう!

 信仰生活を始めて以降、私の祈りは悔い改めの祈りばかりでした。悲しみの神様、苦労の道を歩まれた真の父母様のことを思って、涙、涙の祈りをしていました。
 そんな私が、自己牧会プログラムに出合ってからは、囚(とら)われから解放されて、幸せと感謝の日々です。心の目を通して、神様といつでもどこでも出会える喜びを実感しています。
 時々これでいいのかしらと思うことがあります。自己牧会プログラムでは、「悔い改め」をどのように捉えているのでしょうか。
(女性 50代)

 実はこのような質問はしばしば頂きます。「悔い改めや蕩減条件を立てるという概念はないのですか?」とよく聞かれます。

 蕩減条件を立てるとは、神様に近づくために、断食、水行、祈祷、訓読などを通してサタンを分立することだと思います。
 ところが、体はそのように実践していても、なかなか心が伴わないという課題があったのではないでしょうか。

 自己牧会プログラムの言うワークとは、内なる神様である良心との対話であり、お祈りです。ですから、ワーク自体が蕩減条件を立てることにつながっています。

 摂理的にも、基元節以降は天一国時代、創造本然の時代であるので、罪のかけらもない創造本然の姿になれる時代に入ってきていると思います。

 相談者のかたは感謝と喜びに導かれているのですから、天一国時代にふさわしい恩恵を受けていらっしゃると思います。

 そのために摂理に対する切実感が薄くなるのはちょっと困りますが、これまでの悔い改めが自分の不足や間違いを責めるということに終始していたのなら、そこに時間を取られる必要はないと思います。

 心が平安になったら、それに浸ってぼんやり過ごすのでしょうか。そうではありません。やることがなかったら面白くないですよ。

 私たちの本心は、喜んでもらいたい、摂理に貢献したいという気持ちであふれています。
 もっと前向きに、中心者を支えていきたい、喜んでもらいたいと思うようになります。そういうふうに孝情を育んでいけたらいいですね。そうできる時代を迎えたのです。

 神様は、私たちを通して、悲しんでいる人を救いたい、天国をつくりたい、祝福を授けたいという願いをお持ちです。

 もしあなたが平安を得られたのなら、今度は「何ができるだろう? 何をもって天と中心と兄弟姉妹に喜んでもらえるだろう」と尋ね求めてみてください。
 そうすれば、神様のために役立ちたいという次のステージに上がることができると思います。

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☆自己牧会プログラム事務局☆

【メールアドレス】
wakuwaku150830@gmail.com

【ウェブサイト】
https://ワクワクセミナー.com/

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 次回は、「神様の愛を発見する喜び」をお届けします。


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