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心情開拓
心霊を育てる生活原則(17)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

1 牧会

▲李耀翰先生

何を先にやるか

 信仰の出発は、自分よりも何か他の問題、公の問題を情的に心配することから始まるのです。具体的にいえば、自分の家のことよりも教会のことを心配するようになれば、本当の信仰者としての道を歩きだしたのです。

 青年においては、普通、自分の将来を心配するのですが、良心的な人であれば、自分の家庭があるから自分があり、民族があるから家庭があり、国家があるから民族がある、というようになるのです。

 だから、韓国の例でいえば、国家を心配する人はほとんど宗教に入ったのです。だから、過去において日本に迫害されたのは、宗教人です。国を愛する者は、全部キリスト教に入ってしまうのです。

 なぜ信仰と愛国とが結びつくかというと、公の信念があるからです。だから、愛国者とか科学者とかは、霊界へ行っても、自分のために生きた人たちと一緒にいるのではなく、特別に待遇されるというのです。

 だから、私たちが何を先にやるかということも、情的に扱わないで、頭脳で考えたり使命感で考えたりすると、こっちもこうだし、あっちもこうだし、どれも貴重に思えてどうにも判断できなくなるのです。

 情的に判断すれば、私はこの教会が恋しくて来た、すると掃除したくなっちゃったというようになるのです。韓国で、ある高等学校の先生が「原理」を聞いたのですが、その先生は哲学を専攻していて、韓国で一番有名な哲学者を訪ねていって、人生問題を討論したりした人なのです。その先生が創造原理を聞いてみると、あまりにも痛快に問題が解決できるものだから、何か教会へ来て仕事をしたいと、便所掃除をやり始めたのです。

 「だれが毎日便所掃除をやっているのかな」と私も思ったのですが、内緒で朝早く来てやっていったり、夜遅く人が寝ている時にやったり、一番人目につかない時を見つけてやるのです。理論で考えると、「私はこの教会の信者になったのですが、何をやるべきですか」と聞くはずですが、やりたくてたまらない人は、自分で自分のやるべきことを見つけるのです。

 この高等学校の先生に対して、「お前、便所の掃除をしろ」とは命令できないのです。しかし、その人は自分から学校もやめて、「原理」をマスターして献身してしまったのです。奥さんも捨てて、二人の子供も孤児院に行くことになり、本当に家族はかわいそうになってしまいました。けれども、もしこの「原理」を知らなかったなら、自分は結局、奥さんと子供を捨てて自殺するつもりだったというのです。だから、自分の奥さんには、「私は死んだと思って、私のことは考えるな」と言って出てきたのです。

考える

 本来、だれでも自分のすべき仕事は知っているのです。それなのになぜ分からないかというと、考えるからなのです。考える人は失ってしまうのです。

 考えてはいけないということは、極端にいえば、ばかになれということです。考える時には自分の未来を考えるのではなくて、自分が今神と結ばれた情的関係、それをいつも考えながら喜ぶのです。考えることと喜びとが、一緒になっていなければならないのです。考えることと喜びとが別れると、暗くなってしまうのです。

 だから、全く考えてはいけないというのではありません。希望を見いだし、未来を計画するというようなことも、全く無視せよというのではありません。ただ、考えるということと喜びとは分かれやすいから、あまり頭脳的に動くなということなのです。喜びと希望にあふれるというのは、自分の理想や未来を確信したからなのですが、確信したからといって、このあふれる情的な動きがなければ、思想的になってしまうのです。ここが信仰者と思想家との違いなのです。

 左翼の人たちが活発な運動をしても、信仰者とは内面が違うのです。左翼運動では、強制的な圧迫を受ける人がいるのです。信仰の世界全体を喜ばせながら、親孝行をさせていかなくてはならない責任があるのに、一人でも圧迫を感ずる人がその家庭にいた場合には、その家庭は破壊されるのです。天国には迫害を受けたり、不安を感ずる者は一人もいないのです。自分の身体でも、正常であれば、どこにも痛みを受けるとか、苦しんでいる部分はないのです。もし、どこか一つが苦しんだなら、全体が責任をもたなくてはなりません。

 例えば、指先が痛ければ、全体が仕事をやめて、これをどうにか処置して、解決してから、全体目的を行っていかなくてはならないのです。それと同様に、私たち天国人が集まった団体の中には、不安とか強制があってはならないのです。

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 次回は、「原罪と自犯罪」をお届けします。


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