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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(18)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
一、平壌開拓の日々

▲金元弼先生

自分のこととして話を聞く

 霊能者に啓示があった時には、自分にはなかったとしても、そういう人たちの啓示を自分に与えられたものとして受け入れてくださるようにお願いいたします。それが知恵のある人なのです。

 皆さんは、いろいろな先輩たちや、諸先生方の証しを聞いていると思います。その人たちが、2時間にわたって証しをしているとすれば、今まで30年、40年、50年の生涯をかけて積み上げてきたものを、たった2時間でお話ししているのです。それを聞くことによって、その人を通じて神がどのように苦労なさったのか、どのように導いてくださったのかを知り、その神を私の神として受け入れることは、非常に大事なことだと思います。

 その人の幼い時から今までの話を聞きますと、自分がその人と共に生まれて、一緒に育ってきたような、そのような親近感を感じるようになるのです。

 ここに一人の人がいるとしましょう。今までは何も分からなかったので、この人は普通の人だと思っていたのに、話を聞いてみれば、お父さんが王様であることが分かったとしましょう。そうしたら、それからあとは、この人に対する態度がどんなにか変わっていくことでしょう。

 キッチンで働いている人がいるとしましょう。この人は、かつて死にかかっている人を救うために、自分のすべてを投入して助けた経験をもっている人だとしましょう。そうしたら、皆さんは、どんなふうに考えるようになりますか。それと同じように、人を知るということは大事なのです。そうすれば、兄弟を大事にするという考えが出てくるのです。

 最も大事なものは、心の中にすべてあるのです。目に見えるものだけを見て知ろうとするだけでは、その人の価値がよく分かりません。秘められているものを知ることによって、初めてその人の価値をはっきりと知るようになるのです。ですから、いろいろと聞くお話は、その人のこととしてではなく、自分のこととして受け取るようにしてほしいのです。そういう人は、啓示を受ける人よりも、もっと大事なことができるのです。

 イエス様が亡くなって、復活して弟子たちの前に現れた時に、イエス様は生きていないと考える人と、生きているという人がいました。疑った人の代表は、トマスでした。それでイエス様が「それでは、私の傷あとに手を当ててごらんなさい」と言われたのです。このようにしてみますと、直接啓示を受ける人は、実際に見て信じる者と同じです。人の話を聞いて信じる人は、見ないで信じる人と同じなのです。啓示を受けて信じた人と啓示を受けないで他人の話を自分に告げられたものとして聞いた人と、神はどちらを、より信仰ある者と見るでしょうか。分かりますね。

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 次回は、「霊能者とキリスト教信者」をお届けします。


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