日本人のこころ 54
親鸞(唯円)『歎異抄』

(APTF『真の家庭』275号[20219月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

祖母に習った「正信偈」
 私に宗教の手ほどきをしてくれたのは祖母で、小学生になると朝夕のお勤めで横に座らされ、「正信偈(しょうしんげ)」を一緒に唱えていました。「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)、南無不可思議光(なむふかしぎこう)…」という短いお経で、親鸞の教えを集大成した著書『教行信証』に収められています。

 祖母は熱心な浄土真宗の門徒(信者)で、私はよくお寺の日曜学校に連れて行かれました。もっとも、長男である父とは口喧嘩が絶えなかったので、信仰と人格は別ものかなと思ったりしましたが、私の愛犬が苦しみながら亡くなるとき、懸命に念仏を唱える祖母の姿を見て、尊敬するようになりました。

 「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の悪人正機説で知られる『歎異抄』は鎌倉時代後期に書かれたもので、作者は親鸞の弟子の唯円とされています。現存する最古の『歎異抄』は500年前、浄土真宗中興の祖・蓮如が書写したもので、その奥書に「仏縁浅き人には読ませてはならない」とあり、封印されたため、あまり読まれることはありませんでした。

 同書が今日のように世界的に読まれるようになったのは、明治時代に、西洋哲学に啓発された清澤満之(まんし)らが再発見し、近代人のもつべき信仰として広めたからです。つまり、近代主義によって見直された親鸞の教えで、それが今に続いています。

 親鸞は9歳で比叡山に登り、出家して天台宗の僧になりますが、当時の比叡山延暦寺は、最澄による開山から400年を経て次第に世俗化し、僧侶も出世の道の一つになり、権力者らに求められるまま現世利益の加持・祈祷や死者の追善供養をしていました。比叡山は修行の場でなくなったと思った親鸞は29歳で山を下り、「和国の教主」と慕う聖徳太子建立の六角堂に百日参籠し、95日目に夢告を得て、法然を訪ねます。そこで、法然の「南無阿弥陀仏」を唱えれば救われるとする称名念仏に出会い、阿弥陀如来一仏を信じる信仰に大転換したのです。

 法然は平安時代の貴族仏教を大衆仏教へと転換し、日本仏教に宗教改革を起こしたとされる僧で、天台宗から分かれ浄土宗の宗祖となります。平安時代末期は戦乱や天災が続き、多くの人が絶望的な気持ちになった時代で、念仏さえ唱えれば、学識や財産、善行がなくても死後に浄土に行き、救われるという浄土宗の教えは庶民に広く受け入れられます。親鸞は法然の教えをさらに純化・徹底させ、肉食・妻帯も構わない、世俗の暮らしのままで救われるとしたので、悩める人たちから圧倒的に支持されるようになったのです。

▲親鸞(ウィキペディアより)

宗教倫理から世俗倫理へ
 親鸞は「神祇不拝、国王不礼」として、古来の神々を祀り、拝むことを禁止しています。神だけでなく阿弥陀仏以外の仏や祖霊も同じで、真宗門徒は神社や他宗派の寺院に参拝せず、仏壇には阿弥陀仏以外の仏を祀らず、位牌も置いてはならないとしました。『歎異抄』には「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず」とあります。

 国王不礼とは、天皇や将軍、大名などを尊敬しないとの意味で、一向一揆では大名を追放し、門徒だけで自治領をつくった例もありました。「進めば往生極楽、退けば無間地獄」と書いたむしろ旗を掲げ、門徒衆が死に物狂いで戦ったため、織田信長や徳川家康などの戦国大名らが苦しめられています。

 私は母の没後、位牌をどうするかお寺に相談すると、作ればいいとの返事で、あれっと思いました。親鸞は上記のような時代を背景に先鋭的な教えを述べたのですが、日本人の素朴な神信仰を否定したものではなく、浄土真宗の門徒の家にも多くは神棚があります。

 『教行信証』には、「自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事ることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠(まつ)ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ」とあります。

 私たちの迷いや苦悩の元は無明による我執で、苦悩そのものは存在しないというのが釈尊の教えですが、えてして私たちは我執の心に振り回されていることに気づかず、何か大きな力に頼って苦しみから逃れようとしてしまいがちです。そうではなく、ひたすら衆生の救いを願う阿弥陀如来の本願を信じ、ゆだねることで、誰でも死後、極楽浄土に往生できるとしたのが浄土真宗の他力本願で、真宗が一向宗と呼ばれたのは、阿弥陀如来だけを信じる信心からです。

 その点が一神教のプロテスタンティズムと似ているとされるところですが、他力本願は最後の段階でどこか無理があります。日々の暮らしの中で、人々は実際に何らかの自力によって生きており、他力で生ききるには限界があるからです。

 浄土真宗が世俗の倫理になった一例は、滋賀県に生まれた近江商人です。売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」をモットーに、高島屋や伊藤忠商事などにつながる商人を育てました。プロテスタンティズムでは、救いが予定されているように振舞うことが行動倫理になったのですが、浄土真宗には、念仏を唱えれば必ず極楽浄土へ往生するという往相廻向(おうそうえこう)と、極楽浄土に行った人間が衆生救済のためにこの世に帰るという還相廻向(げんそうえこう)の二種廻向があり、後者の読み替えで世俗の活動も仏道の修行になったのです。

 日本仏教の特徴は、どの宗派も教えが世俗倫理になっていることです。それは聖徳太子以来の伝統で、そこにこそ日本宗教の特徴があるのかもしれません。

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