https://www.kogensha.jp

心情開拓
心霊を育てる生活原則(15)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

1 牧会

▲李耀翰先生

男女の問題

 相当、信仰目的に徹した馬力のある人でも、横的に流れる情のために、縦的に馬力を出せなくなってしまうことがあるのです。

 一番初め教会に来た時には、とても熱心なのです。家にいても、御飯を食べたならすぐ走って来るのです。教会長の主管の中にいたい、教会長の命令なら何でもやりたいというのです。それは旧約時代、祭司長の命令の下にあった時代を蕩減(とうげん)する期間なのです。

 その期間が過ぎると、教会にもあまり行きたくない、教会長の命令も、あまり聞きたくないという時期が来るのです。その時、信仰している兄弟に対して、縦的よりも横的に親しくなっていくのです。だから、縦的な心情が強くないと、横的に流れてしまいます。男女も、霊的に近くなりますが、それは霊的な成長だから一概に「いけない」と言ってはいけないのです。そういう問題は、復帰路程において、必ず現れる現象なのです。

 もし自分がそういう問題に悩んだなら、教会長に話すのです。すべて告白してしまうのです。この問題は、自分たち同士で、平面関係で話すのは絶対にいけません。教会長は、愛を主管できなければなりません。両方の中心に立って、情を神に結んであげなければなりません。だから、自分も知らないうちに、強く横的に情が流れやすい時期があるから、それを縦的に自分から主管していかなければならないということを、あらかじめ知っておいたほうがいいのです。

 愛の問題は、蕩減条件として出るのです。
 これは、堕落がそうなっているから、私たちは、堕落の行為を越えなくてはいけないのです。こういう問題が起こった時、もちろん、横的に流れた情を縦的にするその位置は、自分がつかまなくてはいけないのです。

 「情」というのは流れです。愛は、相対基準を結べば流れるのです。伝道するのは、それまで全く関係ない人なのだけれど、一日中話して、その人と関係を結んだ時には、仕事よりも何よりも、その人を待つことが一番中心となってしまうのです。つまり、情がその人に流れるのです。だから指導者としての情を結んでやらなくてはならないのですが、情をそこだけに結んで、他の仕事をみんな逃すというわけにもいかないのです。

 結局、愛の問題については自分が主管しなくてはいけないのです。この愛が自分の愛か否か、分別しなくてはいけないのです。何か恋しいという時、それは自分が恋しいのか、それとも神が恋しいのか、それもまた、聞いてみなくてはいけないと思います。

 間違ってはいけないのは、自分の感ずるものを自分のものと思って、勝手に結んではいけないということです。それを教会長なり、地区長なり、その関係に入っていない人と相談すると良いのです。関係ない人と話してみると、その人はよく分かるのです。その事情に陥っていない人が事実を聞けば、全体から見て、これが間違っているかどうかを、分別してくれるのです。

 また、教会長がそういう立場になった時には、兄弟が23人集まって、中心のために祈って、それから地区長へ手紙で相談するか、会って話すか、一回報告しなくてはいけないのです。

問題解決は三時間以内に

 何か不快なことがあって、自分の情が崩れた時、これを韓国では「しわ」と言うのです。洗濯すれば、その洗濯物をアイロンがけしなくてはなりませんが、同じように、心がしわになった、環境から影響を受けて心が縮まってしまったという時、その日のうちに、寝るまでに元どおりにしておかないといけないのです。もしそのままにして、あすまで持ち越すと、なかなか直らないのです。それは、きょう洗濯した物を、一日おいたあとにアイロンをしようとしたら、簡単にしわが伸びないのと同じく、この情の結んだものを一晩おいてしまうと、その翌日は絶対に直りません。

 なぜ直らないかというと、3時間が過ぎたから、もうサタンに讒訴(ざんそ)されるのです。既に決定したのはどうにもならないわけで、これに対してサタンは、3時間後、3カ月後、というように、3という期間をおいて讒訴するのです。

 そういう時は、しわになった動機を解かなくてはいけないのです。その人と、どういうふうに結んだかということです。だから、その人と直接会って解決するか、それとも教会長と3人で解決するか、また、何かあって不快な立場になってしまったその場で、みんな忘れてしまおうと、笑って握手をして、お互いに気を直すとかするのです。実に小さなことが大きな問題になるので、信仰者は、よくよく注意しなくてはいけないのです。

---

 次回は、「何でもないことを天地と思え/七日間断食の意義」をお届けします。


◆『心情開拓』を書籍でご覧になりたいかたはコチラ